2009年12月14日 (月)

半田市鉄道資料館とJR半田駅

 11月29日は、10月29日に下見をした”知多半島の「食文化のふるさと」めぐりコースの本番でした。
 Hanndahonn28時10分、JR半田駅集合。私が所属している中部産業遺跡研究会の担当は、JR半田駅とJR亀崎駅です。今日は、前回の下見に参加したTさん、Yさんともう一人鉄道マニア(通称鉄ちゃん)のFさんも来て下さいました。Fさんは鉄道に対する造詣が深く、今回も古い駅舎の写真や資料などを持参されていました。そこで、FさんとYさんにJR半田駅の説明はお任せして、私とTさんは半田市全般についての説明をハイキングの始めに行なうことにしました。
 受付は、JR半田駅北にある半田市鉄道資料館前で9時から。未だ少し時間があるので、先に鉄道資料館を見学させていただきました。
Hanndahonn1  鉄道資料館の横には、武豊線を最後に走った「さよなら列車」を牽引したC11265蒸気機関車が展示されています。資料館自体はさほど大きな建物ではありませんが、中には昔国鉄で使われていた懐かしいものがいっぱい展示されていました。昔の駅で使われていた大きな計量ばかり、チンチンと鳴る電車の合図、手回しの時刻表、駅の表示板、列車に付いていたメダルや灯りのカンテラ、古い切符や記念切符、子供の頃に見たことがあるものや古い映画などでしか知らないものまで、とても懐かしい気がするものがたくさんありました。
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9時少し前ぐらいから、ちょこちょこ参加者の方が受付にやってきました。私は、受付が済んだ方にTさんが用意された半田市の説明のチラシを渡して、「半田市の説明をしていますので、こちらへどうぞ。」と言って、Tさんの方へ誘導したり、「半田駅はあちらです。」などとウォーキングルートをHanndasita8説明したり。
 9時50分ぐらいに説明終了。Fさん、Yさんと合流し、ついでにFさんから私たちもJR半田駅の説明を聞きました。Fさん持参の大正時代の半田駅の写真を見ると、形は今の駅舎にそっくりです。どうも明治43年から建っているのは跨線橋だけでなく、駅舎も改修されてはいますが骨格部分は昔のものがそのまま使われているようで、柱などは木でできていました。続く。

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2009年12月13日 (日)

海上の森の紅葉と愛パーク(2)

 私は海上の森センターはもっと森の中にあるのかと思っていたのですが、建物を出るとその下はすぐに広い道になっていました。道の向こうには瀬戸の町や大きな団地が見えました。
Aipaku4  山口町の交差点の近くにある台湾料理の店で昼食。ランチはすごいボリュームがありました。
 町中の道を通って、山口八幡社へ(写真上)。ここでお参り。お社の脇には皇太子殿下後降誕記念と書かれた碑がありました。この神社の隣に山口憩いの家があり、2階が郷土資料館になっていました。中には、山口町に伝わる祭りや民具などが展示されていました。
 しばらく行ったところにある八幡池では、釣りや散歩をしている人達がいました(写真中)。
 大きな団地の横にある商店街を歩いて行きます。しかし、最初の商店街はシャッターを下ろしたままの店が多く、寂れている感じでした。次の商Aipaku5 店街では、多くの店が並んでいましたが、日曜日の昼間のせいか人通りも少なく、ここもあまり流行っているようには見えませんでした。

 瀬戸南公園は、高台にある大きな公園で遊具も揃っており、子供たちが遊んでいました。ここのベンチでお茶休憩。ここも広い敷地に赤や黄色に染まった木々がたくさん植えられていて、とてもきれいでした。
 公園の階段を下りていくと、瀬戸市美術館と文化センターがありました。瀬戸市美術館(入場料400円)では、特Aipaku6 別企画展「長江録彌彫刻展」が開催中で、裸婦や少年、男性、女性像だけでなく仏像や小説の登場人物など多彩な彫刻が展示されていました(写真下)。

 ゴールの尾張瀬戸駅では、ラッキー賞が当たっており、パソコンなどの埃を払うグッズをもらいました。帰りは、名鉄瀬戸線に乗って栄駅まで行き、地下鉄で名古屋駅へと帰りました。

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2009年12月12日 (土)

海上の森の紅葉と愛・パーク(1)

 11月28日は、名鉄ハイキング「海上の森の紅葉と愛・パーク」に参加してきました。
Aipaku2  名古屋駅から地下鉄で藤が丘駅まで行き、リニモに乗って陶磁資料館南駅着。ここで、ハイキングマップをもらって、歩き出しました。ちょうど今この辺りを整備中らしく、フェンスで囲まれたところを歩いて行きます。

陶磁器資料館へと入って行きます。ここの敷地はとても広く、木々が立ち並ぶ丘の上に資料館の建物が建っていました。木々は今ちょうど紅葉真っ盛りで、赤や黄色の木の葉が青い空に映えて、とても色鮮やかでした(写真上)。この陶磁器資料館は以前2回来たことがあるので、今回はパス。
Aipaku1  本館を通り過ぎて駐車場の方へ向かう途中に復元古窯がありました。その横には、奈良時代の瓦窯もありました。これは豊橋市で発見されたものを、ここに移築したものだそうです。その少し先には、体育館のような建物があり、中に入ると、鎌倉時代の古窯が地中をトンネルのように掘った形そのままで残されていました。以前来た時は、こちらの方までは来なかったので、あることも知りませんでした。今回、見れて良かったです。

 駐車場からは、林の中の道を歩いて行きます。舗装されていない道は落ち葉の絨毯でふかふか。しばらく行くと広い通りに出てきました。
 上之山町の信号を渡って、愛・パークへと入って行きます。児童用の遊具がある公園の階段を上ると、大皿前展望台がありました。展望台からは、愛・地球博のために造られた大皿があります。モリゾーとキッコロも展望台に立ってAipaku3いました(写真中)。展望台の下の公園では、今日はちょうど瀬戸市制80周年ということで、テントが張られ、宝探しや木の遊具作りなどのイベントが行なわれていました。私は、ちょっと離れたベンチに座って、持参のお菓子でお茶休憩。
 海上の森の横を通っていきます。愛・地球博のイベント会場だったらしい場所を通って、海上の森センターへ(写真下)。ここも愛・地球博の時に造られた建物ですが、私はこちらへ来たのは初めてです。2階はトイレと図書室、1階は展示室になっており、海上の森の動植物の説明などのパネルがありました。続く。

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2009年12月10日 (木)

カールじいさんの空飛ぶ家

 またまたディズニーの3Dアニメ、「カールじいさんの空飛ぶ家」を見てきました。笑えて、ちょっぴり泣けて、最後は心がほのぼのとしてくる、ディズニーらしいとてもいいアニメでした。空を飛ぶという映像は、3Dに最適。奥行きのあるとてもいい画面になっていました。

 カール・フレドリクセン、彼は今78歳で、一人で家に住んでいる。子どもの頃、彼は冒険家の映画を見て、憧れ、自分も冒険家になりたいと思っていた。そんなある日、カールは空き家でお転婆な女の子エリーと出会う。彼女も冒険家に憧れていた。
 そんな二人はいつしか愛し合い、結婚して、空き家を修理して二人の家にする。カールは公園で風船を売り、二人はいつかお金を貯めて、パラダイスフォールへ行くことを夢見ていた。子供には恵まれなかったが、二人は互いに愛し合い、歳をとっていった。そして、エリーは病気で逝ってしまった。
 二人の思い出の家の周りでは工事が始まっており、カールの家も売ることを勧められていた。ひょんなことから、カールは事件を起こし、老人ホームへ行く羽目に。その日、彼は風船を膨らませて、家ごと飛び立つことにした。
 だが、そこに大きな誤算が・・・。なんと、自然探検隊の子供・ラッセルもお年寄りのお手伝いバッジが欲しくて、ついて来てしまったのだ。
 ラッセルとカールじいさんの珍道中は続く。パラダイスの滝の近くまでは来たのだが、変な鳥には出会うし、しゃべる犬まで現れた。そして、あの冒険家も・・・・・。

 パラダイスフォール、それは南米ベネズエラにあるエンジェルフォールを元にしているらしい。あのコナンドイルのSF小説「失われた世界」にも出てきた伝説の場所。私も行ってみたいなーと思っている憧れの地。そこにしかいない固有の動物も多数いるという、人を寄せ付けない峻険な大地。エリーとカールが憧れる気持ちがとってもよく分かる。
 そして、笑えるのが、ラッセル君。ちょっとおデブで運動神経も悪そうな男の子。テントやロープを持ち運んでいるくせに、一度もテントを組み立てたことがない、不器用な子。でも、子供らしく生き生きとしている。鳥や犬を見ると、すぐに仲良くなって、「ねえ、飼ってもいい?。」って聞くのだ。
 カールじいさんは子供のおしゃべりに辟易しているけど、いないと寂しくて、ついラッセルと一緒になっていろいろやってしまう。

 そして、最後にエリーの「わたしの冒険ノート」。そこに描かれていたのは、エリーの人生だった。どんなに平凡に見えようとも、人生そのものがもう冒険なのだ。毎日の生活、それこそが最大の冒険。
 カールじいさんも、また新しい冒険の旅へと歩んでいく。毎日の生活を生きていくことを。私も毎日の生活を、一つ一つ大切にしていきたいと思う。

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2009年12月 9日 (水)

東山配水塔

 時間短縮のため、階段を上り、ふだんは通れない扉を開けてもらって、水の丘へ。ここは水道公園になっており、噴水があります。
Zyousuizyou4  歩道橋を渡り、天満緑道「水の小径」を歩いて行きます。歩道橋には、明治44年(1911年)にイギリスで製造され、この水道局で70年間使われていた仕切弁が置かれていました。
 天満緑道は、鍋山浄水場から東山配水場に至る送水路の上に造られており、道の脇には木曽川を模した人工川が設けられて木曽川上流から下流までのさまざまな樹木が植えられています。ちょうど今は紅葉の季節で、赤や黄色に染まった木の葉がきれいでした。この緑道の中央辺りには、やはり昭和6年(1931年)に造られたY字管も置かれていました(写真上)。
Zyousuizyou5  天満緑道の終点から道路を渡って、水道局の敷地へと入って行きました。ここもふだんは入れない場所で、特別に入り口を開けてもらって、東山配水池へと歩いて行きます。陸橋からは、東山配水塔が見えてきました。坂を上がって、配水塔へ(写真中)。
 この東山配水塔は、昭和5年(1930年)に東山給水塔として建てられました。水を高い位置に汲み上げて、覚王山一帯の高台に給水するためです。その後、水道水はポンプで加圧して給水するようになったため。昭和48年(1973年)に役目は終わり、現在は震災時の応急給水タンクとして活用されています。上部は展望台にもなっていて、年に何回かの公開日には中にZyousuizyou6 入ることができます。今日は特別にここも入らせてもらいました。
 1階の入り口には、以前水道局で使われていた古い道具や資料が展示されていました。細い階段を上っていくと、各階には水道局の歴史が書かれたパネルや昔の写真などが展示されていました。一番上の階は、内側に貯水タンクがあり、その周りが展望室になっていました。近くの日泰寺の森やビル街、名古屋ドームなどが眺められました(写真下)。
 塔を降りてきたところで解散。覚王山駅から地下鉄に乗って帰りました。

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2009年12月 8日 (火)

鍋屋上野浄水場

 11月27日は、生涯学習講座 ”「名古屋の水道」・鍋屋上野浄水場~東山配水場見学”に参加してきました。

Zyousuizyou2  13時20分、鍋屋上野浄水場 1階ホール集合。
 13時30分から、最初に鍋屋上野浄水場の場長さんから、名古屋の水道の現状や浄水場の設備について説明がありました。この浄水場は、緩速ろ過池と急速ろ過池の両方の設備があることが特徴で、それぞれについて浄化の仕組みを説明していただきました。
 次に講師の先生から、名古屋の水道の歴史についてのお話がありました。この鍋屋上野浄水場は、大正3年にできた施設だそうです。その頃の旧第一ポンプ所の建物が今も残っています(平成4年まで使われていた)。また、東山配水場も同じく大正3年に創設されました。

Zyousuizyou3  14時30分、鍋屋上野浄水場の見学。
 広い敷地にいくつもの大きな池がい並んでいます。これが緩速ろ過池で、木曽川から運ばれた水は、ここで砂や微生物の働きによって汚れを取り除かれます。今日は、一つの池が掃除中で、水が抜かれて砂が取り替えられていました。ろ過池は工事用の車が小さく見えるほど広いです(写真上)。
 次に緩速系着水井を見ました。ここの水は、木曽川から取り入れた原水を途中の春日井市にある沈殿池で処理して運んできたもので、この設備も大正3年に造られたものだそうです。
Zyousuizyou1  ソーラーパネルが並んでいる場所を通って、次は急速ろ過池へ。ここでは、木曽川から取り入れた原水を先ず凝集沈殿池(写真中)で薬品を使って汚れや濁りを取り除き、次に急速ろ過池でさらにきれいな水にします。ろ過池の上には、湯垢のような塊が浮かんでいました。

 最後に旧第一ポンプ場の建物を間近で見学しました。大正時代に造られたものらしく、赤レンガでできており、ヨーロッパの建築風の装飾が取り入れられた重厚なものでした(写真下)。続く。

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2009年12月 7日 (月)

いたずらっ子、ナナちゃん

 やっとカリブ海クルーズの旅行記も終わったので、久々にナナちゃん登場。
 ナナちゃんは、とってもかわいいけど、いたずらっ子。マサエ。を困らせて、笑わせます。

 紐を見ると、引っ張って遊びたがるナナちゃん。カメラでナナちゃんを写そうとすると、カメラを入れているネックポーチの紐に飛びついて、ムシャムシャ?。
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 ホットカーペットのカバーもめくってみて、味見?。買い物に行こうとすると、かごに入って連れてってー。
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2009年12月 6日 (日)

カリブ海クルーズ・10日11日目

 4時30分、起床。朝食代わりに、昨夜の残りのイチゴを食べる。
Karibu101  5時、スーツケースをドアの外へ。
 5時30分、昨日の現地ガイドさんが迎えに来てくださって、車で空港へ。
 6時10分、空港着。荷物を預け、セキュリティーを通って、出国ロビーへ。ここで、マフィンと紅茶で朝食。
 8時、フォートローダデール空港発。途中、ジュースとピーナッツのサービス。
 10時50分、デトロイト空港着。とても広い空港で、頭上をトラムが走っているのが珍しかったです(写真上)。また、入り口が鳥居になっている日本食堂もありました。
 ハンバーガーとコーヒーで昼食。
Karibu111  14時30分、搭乗。しかし、時間になっても飛び立たない。直前になって搭乗人数が変わったため、荷物の計量をやり直しているという放送がありました。もし、人が乗らないで荷物だけ乗っていたら・・・。テロ防止の対策ですねー。16時30分、予定より1時間ほど遅れて、やっと飛び立ちました。
 さすがに眠れないので、機内では本を読んだり音楽を聞いたりして過ごす。

ーーーーーーーー 日付変更線 ーーーーーーーーー
Karibu312  6時30分(デトロイト時間 17時30分。以降日本時間) ジュースとプリッツのサービス。
 7時30分、食事。えび、チキン、温野菜、サラダ、パン、お茶。
 12時、軽食。サンドウィッチ、チョコレート、ぶどう、水。
 17時30分、軽食。ソーセージ、オムレツ、ポテト、果物、パン、オレンジジュース、コーヒー。
 18時40分、中部国際空港着。
 荷物を受け取り、名鉄電車に乗って、帰りました。

 写真中は、お土産のラムケーキとジャマイカン・コーヒー。下は、タオルで作った動物。
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2009年12月 5日 (土)

カリブ海クルーズ9日目

 6時、起床。外は未だ真っ暗。バイキング・レストランで朝食。
Karibu93  8時、5階のバーで待ち合わせ。待ち合わせ場所に手違いがあったり、荷物テーブルではツァーメンバーの一人のスーツケースだけが別ののターンテーブルに行っていたりして、多少手間取りましたが、無事下船。マイアミの現地ガイドさんと合流し、車に乗ってマイアミ観光へ。
 9時30分、アールデコ地区着。車から降りて、ぶらぶら歩いて行きます。この辺りは1910年~30年代にフランスで流行したアールデコ様式の建物が並んでいる地域です。
 次は、ココナッツグローブ地区へ。ここでは、ココウォークというショッピング街を見て回りました(写真上)。
Karibu92_2  また車に乗って港の方へ戻っていく途中、ちょうど橋のところに差し掛かった時に、橋が2つに分かれて上に上がっていくのが見えました。跳ね上げ橋です(写真中)。アメリカ映画ではよく見る風景ですが、日本では見たことが無いのでとても珍しかったです。橋は全部上に上がると、隙間から向こうが見える状態になり、船が通っていくのが見えました。
 港の近くのショッピングモールで休憩。ジュースを飲んで、店をちょっと見て回りました。

 12時10分、中華レストランで昼食。ずーっとアメリカ風の味付けの料理ばかり食べていたので、久々の中華料理がとても美味しかったです。
 ホテルのある辺りはビーチしかない場所なので、ちょっと離れたショッピング街にあるスーパーの前まで車に乗せていってもらいました。帰りのバスの乗り方などを教えてもらって自由解散。
Karibu94  スーパーでは、今日の夕食用にサンドイッチとイチゴ、お土産用にハーシーのチョコレートなどを買いました。帰りはバスに乗って、無事ホテル前へ。バス代、2ドル。
 15時、ホテルにチェックイン。1日目に泊まったのと同じホテルです。部屋からは、ビーチがよく見えます(写真下)。
 部屋に入って、先ずはゆっくりと風呂に入ることにしました。船ではシャワーしかなかったので、やはりバスタブに浸かるといい気分。湯上り後は、なぜか眠くなり、そのまま昼寝。
 18時、目が覚めたので、部屋でコーヒーを沸かして夕食。もう一度、荷物の整理をしたり、本を読んだりしてから、また寝ました。  

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2009年12月 4日 (金)

2012

 映画「2012」を見てきました。
 古代マヤ暦は、2012年12月21日で終わっているそうです。そして、この日が地球最後の日または人類が滅亡する日だと信じられているとか。
 滅亡の原因としては、惑星直列や、地球(太陽系)がフォトンベルトに突入する、または太陽活動の極大期などがあります。この映画では、太陽活動と地球のマグマの動き、大陸移動説などによって、地球の異変が起こるとしているようです。

 インドでニュートリノの研究をしていた科学者が、太陽の異変を発見した。それは地殻に変動を及ぼし、地球を破滅させる可能性があった。地質学者のエイドリアンは大統領にそれを進言し、アメリカ政府は他の国々の首脳とも会談をして、人類を滅亡から救うために巨大な船を造る計画を立てた。
 ジャクソンは、離婚した妻との間にできた子供たちと一緒にイエローストーン国立公園に来ていた。彼はそこで異変を見つけ、ラジオのパーソナリティーから”地球が滅亡する”こと、政府が船を造っていることを教えられる。始めはその話を信じなかったジャクソンだが、巨大地震や各国の災害を知って、それを信じるようになった。そして、別れた妻と彼女の現在の夫と共に、ロサンゼルスから船が建造されているという中国を目指す。
 船の建造は着々と進んでいたが、滅亡の時は政府の計画より早く、船に乗れる人数は限られていた。船に乗れるのは、政府首脳・選ばれた科学者・そして一人10億ユーロ払った大金持ちたち。船のことを知った人々が大勢押し寄せる中、あと15分で大津波がやってくる。ジャクソンたち、そして人々の運命は?

 映画は、文句無くよくできていました。見ている間は他事を考える間も無く、手に汗を握る映像が続きます。巨大地震による地割れ、空から降ってくる火山弾、崩壊する建物、その間を縫って、ジャクソンの家族が乗る自動車が走り、飛行機は飛ぶ。
 信じられないぐらいの迫力ある映像。あんなすごい災害の中、私なら絶対に運転するのは無理。目をつぶって、そのまま終わりそう。特に上空から都市が崩壊する様を見るのは、すごかったです。

 しかし、見終わってつくづく思ったのだけど、欧米人は箱船が好きだねー。やはりキリスト教、聖書の影響は大きい。人類そして動物の種を絶やさぬように船に乗せて、新天地でまた新しい世界を築く。でも、それっていいのかなー?。
 46億年前に地球ができ、40億年前には原始生命が誕生したと言われています。10億年前に多細胞生物が出現。現生人類が現れたのは、たった20万年前。その間、大陸は大きく変動しており、地磁気も何度も逆転している。
 人類が今のように繁栄するようになったのは、恐竜が滅びてくれたおかげでもあるのだから、人類も滅びる時が来たら、次の生物に地位を譲るべきではないのかしら。
 映画とは全然関係ない戯言だけど、つい思ってしまった。

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