道風記念館~勝川駅
14日は、春日井市を歩いてきました。
国道19号線の勝川橋の信号を東に曲がり、しばらく行くと道風公園があります。小さなお社の横に小野道風誕生伝説地と書かれた大きな看板が立っていました(写真上)。
公園の奥に道風記念館があります。入り口には道風の像と柳に蛙の絵が描かれた碑が建っていました。入場料100円。展示室の側面には、江戸時代後期から明治時代、現代に活躍している書家の掛け軸などが多数展示されており、中央には、小野道風や藤原俊成など平安時代の古筆の複製が置かれていました。道風公園の横はお寺で、そちらの方にも小野道風の像がありました。
道風記念館の横からは、ちょっと洒落た遊歩道が続いており、所々にベンチもありました。しばらくそこを歩いて、松河戸ICの辺りから東名阪自動車道の下を歩きました。ここも街路樹が植えられていて、きれいに整備されています。
町田町から北西へ、勝川駅の方へと歩いていきます。途中にある地蔵川の畔は桜並木でした。残念ながら桜は未だ固いつぼみですが、木の下には菜の花が満開(写真中)。白い雪柳も咲いていて、きれいでした。
城北線勝川駅は、城北線の終点です。駅は高架の上にあって、電車がずーっと止まっていました。その少し先にあるJR中央線勝川駅周辺は、大きなビルが林立する繁華街。駅前のビルにあるモスバーガーで昼食。
踏切を渡って、帰りは小野町交差点から水道緑道を歩いていきました。道路の真ん中に整備された遊歩道が続いています。
庄内川堤防近くに「十五の森址」があります。庄内川の水害に悩む村人が、陰陽師の言葉に従い、十五歳の娘を人柱として埋めたと言われる場所です。それ以降水害は無くなり、人々は娘の菩提を弔うようになったそうです。
そこからはもう庄内川。堤防道路のこちら側は工場地帯。向こう側は河川敷が広がっており、大きなグランドも作られていました(写真下)。
堤防道路をしばらく歩いて道風記念館に戻りました。
詳しくは、私のHPも見てね。
http://homepage1.nifty.com/MASAE/GAISYUTU/2007ZEN/ononotouhuu.htm
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コメント
菜の花にねこやなぎと聞くとポカポカ春の優しいお日さまを連想しますが3月は寒い日が続きますよね。
今朝も宝塚は雪が舞いましたよ!
でも写真で見るかぎり川沿いの道は暖かそうですね~♪
投稿: beso | 2007年3月18日 (日) 14時48分
こちらは今朝は吹雪でしたが、そちらの嬉しい春の様子を感じました。
それにしても「十五の森址」には驚きました。本当なら何と残酷な!!逸話であって欲しいです。(その陰陽師は、白雪姫の話しに出てくる魔女の様に、若い女性に対する嫉妬心が煮えたぎっていた女なのでは?)
投稿: sonata | 2007年3月18日 (日) 17時54分
小野道風は、そちらの生まれだったんですね。
散策するには、良いけど、
人柱の話し、可哀そうです。
お城とか、槁とか、色々伝説を聞くと、
悲劇ですね、
投稿: ボタ山 | 2007年3月18日 (日) 22時13分
besoさん、こんにちは。
風はちょっと冷たかったけど、天気は良く歩いていて気持ちよかったです。
こちらは山は無く平坦な道ばかりですが、川沿いなどには自然が残っています。菜の花も春らしく、きれいでした。
sonataさん、こんにちは。
昔は、こういう話がよくありました。濃尾平野は大きな川があるおかげで肥沃な土地が続いていますが、その反面洪水も多い土地です。
この話は、説明板によると1494年のことですから、陰陽師というのはたぶん阿倍晴明のように男だったのだと思います。15歳の女の子が集められ、くじ引きで庄屋の娘が人柱になることが決まったのだそうですから、誰かを標的にということは無いと思います。6月29日と日付もはっきり書かれているので、おそらく実話でしょう。
こういうことが信じられていたということは哀しいことですが、その娘さんを弔うことがずーっと続けられてきたというのも大事なことのような気がします。
ボタ山さん、こんにちは。
私も小野道風がこちらの生まれだと、今回初めて知りました。
九州の方にも、城跡や遺構も多いでしょうから、哀しい話が残っているところもあるでしょうね。
投稿: マサエ。 | 2007年3月19日 (月) 10時42分
マサエさん、詳しい解説有り難う。庄屋の娘とはまたビックリです。もしも現代なら、金持ちの親は、娘のためにきっと大金を叩いて身代わりを立てると思うけれど、みすみす人柱にされてしまったのは、他の娘にその役を回せないきっと人間らしい庄屋だったのでしょうか。500年前の事でも胸が痛みますね。
北海道でも大正、昭和時代(戦前)のダムやトンネル、鉄道工事に人柱を立てたという言い伝えがあります。こちらは朝鮮人がさせられたと郷土史で見た事があります。
投稿: sonata | 2007年3月19日 (月) 16時44分
マサエ。さん、こんにちは♪
書に関しては全くの無知です(--;
その良し悪しとかもさっぱり解らないのですが、絵とかに共通するものがあったりするのでしょうか?
機会があったら勉強してみたいなと思います。
「十五森址」
悲しいお話ですね。陰陽師が悪い人に思えるのは私だけ?
投稿: あばた | 2007年3月19日 (月) 20時05分
sonataさん、こんにちは。
私も庄屋ゆえ、村のためにも泣く泣く人柱なったのではないか、とも思いました。
北海道にもそういう話があったのですね。それも近代、相手が朝鮮人というのは日本の朝鮮支配の裏面ですね。日本人がそういうことをしたという歴史、やはり忘れてはならないと思います。
あばたさん、こんにちは。
私も教養が無いので、書のことはよく分からないです。昔の字、読めないです。
私も陰陽師というのは、ひどいことをするなーと思いました。そういう残酷な因習を広めていたというのは問題ですが、それで村が助かったというのも考えさせられますね。
投稿: マサエ。 | 2007年3月20日 (火) 15時46分