恍惚病棟
山田正紀著「恍惚病棟」を読みました。
プロローグは、聖テレサ病院に入院していた痴呆症の老婆が、久しぶりに家に帰って、息子夫婦を殺してしまうところから始まる。
平野美保は、心理学を専攻する学生で、聖テレサ病院でアルバイトをしていた。彼女が担当する老人性痴呆患者は7人。それぞれみすんな個性がある。
伊藤道子は老人だが、自分を22歳だと信じていた。ある日、スーパーへ買い物に行き、そこの駐車場で倒れて亡くなった。
野村恭三は大会社のオーナー会長だったが、やはり痴呆になり、病院でもいつもいばりちらしていた。彼は、リネン室でシーツの下敷きになって窒息死した。
愛甲則子は、銀座のバーのマダムだったので、いつもおもちゃの電話でバーテンにつまみの指示をしていた。彼女は、お風呂に一人で入って、おぼれかけた。
吉永幸枝は、電話で死んだ人と話ができるという。
いったい老人達に何が起きたのか?。どうして急に亡くなったり、おかしな症状が増えたりしたのだろうか?。
老人性痴呆、これも現代の大きな病気の一つで、治す薬は無い。だが、もし有望な治療法を見つけたとしたら?。動物では有効でも、人間には?。
人の心の中には、いろいろな闇がある。恨み、憎しみ、金にまつわる諸々。そして、医学にも闇はある。新しい治療法の開発にはお金がかかる。医者の名誉心。新薬の副作用で命を落とす患者達。
この本は老人医療に焦点を当てているが、病院はどこも同じだろう。そこには、献身的な医師や看護士が大勢いる。だが、それだけでは救われない現実がある。
現場に熱意と献身が必要とされてはいけないのだ。ふつうの人間がふつうに勤務して、適切な医療が受けられるシステムの構築が必要だろう。そして、全ての病気が治るわけではないというあきらめも必要なのかもしれない。
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コメント
ミステリーなのかしら?
痴呆は動物の宿命かもしれませんね。
犬や猫でも発生するらしいけど、そこまで寿命がないから少ないのかも。
人間は寿命を延ばし、生命がバランスをとる以上に長生きになったのかもしれませんね。
でも、痴呆になるのは本人にとってだけをみるとそんなに不幸なことでもないように感じるのは変かしら? (⌒▽⌒;)
痴呆の人の言動ってその人にとって意味があるものなんでしょう。
周りがその意味がわからないから対話ができないのかも・・・
投稿: ねこ | 2007年4月20日 (金) 20時59分
マサエ。さん、こんにちは♪
治療に熱意や献身はダメなのですか?
解る気もしますが、ちょっと寂しい気もします。
病は気からって言いますでしょ。患者さんにもし治療を施す側の一生懸命が伝われば、頑張れる気もするのですが・・・
でも一言で病気と言っても100人いれば100通りあるのかもしれないしな~。適切な医療が受けられるシステム・・・システムって言い方はやっぱ抵抗感じちゃいます。私がまだまだ甘ちゃんなのでしょうね。
全ての病気が治るわけではないのですから、その後、どいうい形で生きていくかを共に考える医療も、もっと重要視されるべきでしょうね。
投稿: あばた | 2007年4月20日 (金) 21時50分
ねこさん、こんにちは。
そうです。本格的ミステリーでした。私は題名からもっと軽い読み物かと思っていたもですが、読後感は重かったです。
痴呆老人にも自分が壊れていくのが、うっすら分かっているという説もありますね。また痴呆老人独特の世界があって、その中で生活しているとも。この本の中にも痴呆老人の独白部分があって、心の中はこんな風になっているのかと思わせるところもありました。
あばたさん、こんにちは。
ちょっと書き方がきつかったかもしれません。ただ、現代の医療は、いろいろ矛盾を抱えていることが、私にも分かってきたので。
仕事熱心な小児科医が、過労から鬱病になり、自殺したという報道がありました。各地の病院で産婦人科医が減って、お産ができなくなっているという状況もあります。
都会に住んでいると気が付かないのですが、地方の病院の医師不足・看護士不足は深刻です。医師は月100時間以上の時間外労働をこなしています。当直明けに手術があり、連続50時間勤務ということもあるとか。救急指定病院では深夜・早朝を問わず病人が担ぎ込まれ、手当に追われます。寝る暇もなく一夜が明けると、次の勤務が待っている。もし、重病の入院患者を担当しているなら、家にいてもいつ何時病院に呼び出されるか分からないので、遊びに行けず酒も飲めない。
そういう状況に耐えられるだけの熱意と献身を、私達は医師に要求してもいいものなのでしょうか?。
私は十分な医療を受けたいです。だからこそ今の状況がとても心配です。どうしたらいいのかは私にも分からないので、大きなことは言えないのですが。
投稿: マサエ。 | 2007年4月22日 (日) 10時41分
マサエ。さんこんばんは。
重い話が続きますね。
コメントも読ませてもらいました。
人が生きると言うことはどういうことでしょうか。
私は運命論者ではありませんが、
人は生まれた時から、その人生は決まっていると思えてなりません。
生きると言うことは、釈迦の大きな手のひらの上で決められた毎日を展開して、それを実感する、その連続が生だと思えてきます。
話は変わりますが、実は私の娘婿は外科医です。
週2回の当直勤務。「外科医なんて、肉体労働者ですよ」とよく言っていますが、そんな彼も一生懸命頑張っています。
人それぞれの生き方がありますね。
私もせいぜい惚けないように頑張るよりしかたがありませんね。(笑)。
投稿: KUBO | 2007年4月22日 (日) 21時53分
KUBOさん、こんにちは。
ほんとうは「笑う霊長類」のような軽い話を読むつもりだったのですが、なぜか重いテーマの本を手にとってしまいました。
私も運命とか人生ということを実感するようになってきました。人には決められた運命があるのだけど、本人はそれを知らないから、それを見つけるために生きているのかもしれない、と思うこともあります。
お婿さん、外科医ですか。たいへんなお仕事ですが、きっと一生懸命頑張っていらっしゃるのでしょうね。
そうそう、お互いに惚けないように、ブログで知的刺激を受けるのも良いかも。
投稿: マサエ。 | 2007年4月23日 (月) 10時01分