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2009年4月30日 (木)

通院日

 4月21日 MRI

 4月23日 放射線科診察
 21日のMRIの結果を教えてもらいました。肝臓の腫瘍は、変化無し。今のところ普通に生活できているし、変化無しならOKかな。

 4月30日 採血・外科診察
 肝機能は良好です。
 AST 34(正常値 13~33) ALT 20(正常値 6~27) γーGDP 44(正常値 10~47) ということで、γーGDPも正常範囲に入りました。
 医師に「肝機能の薬は止めてもいいですか?。」と聞いたら、「もう少し続けた方がいいでしょう。」と軽くいなされました。あの薬、ちょっと苦いのよね。でも未だ薬のおかげで機能が正常化しているのかもしれないので、もう少しかな。
 白血球数も 3600(正常値3500~9000) なので、OKです。

 腫瘍マーカーです。こちらも下がっています。

        11月13日  12月25日   2月5日    3月19日  4月30日
CA15-3  36600    34620    32100    26180   18500
BCA225  200000   260000   200000   180000

 BCA225の方は外注に出すので、未だ今日の分は分かりませんが、この調子なら好結果が期待できそうです。
 体調も良いので、このまま薬を続行。6週間分の薬を処方してもらいました。

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2009年4月29日 (水)

138タワーパークのお花畑

 曼荼羅寺からの帰りに138タワーパークへも寄って来ました。
 こちらもシャーレーポピーやネモフィラ、リナリアのお花畑がきれいです。遠足の子供たちが大勢来ていました。
 花で造られた鳥さんも元気です。
 チューリップはもう終わりかけていましたが、八重のピンクだけは残っていました。しかし、この花の形、チューリップらしく無い気がしますねー。
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2009年4月28日 (火)

グラン・トリノ

 クリントイーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」を見ました。前回見た「チェンジリング」が良かったので、またイーストウッド監督の作品を見てみたいと思ったからです。
 期待に違わず良かったです。泣けました。胸が熱くなりました。

 クリント・イーストウッドが扮するのは、ウォルト・コワルスキー。彼は、昔の思い出に生きる頑固老人だ。映画は、彼の妻の葬儀の場面から始まる。
 ウォルトは、2人の息子やその家族達ともうまくいっていない。教会も妻が行くからしかたなしに行っていただけで、牧師の説教なんて聞く耳を持ってはいなかった。彼は近所の人たちとも交流が無い。近所は、以前は白人の住居だったが、今はアジア人が住み着いている。
 グラン・トリノ、それは彼の愛車。長年フォードで働いていた彼が(一部)造った車だ。隣に住むモン族の少年タオがその車を盗もうとしたことから、彼の人生が変わった。タオは母や姉に言われ、ウォルトの家で償いのために働くことになった。ウォルトはなりゆきで、タオの姉スーを助け、隣人と親しくなっていく。そして、事件は起きた・・・・。

 若かった頃のクリントイーストウッドはとても良かった。私は、ダーティーハリーの活躍に拍手喝采をおくったものだ。だが、老人になったイーストウッドもとってもいい。ちょっとよぼよぼしてるけど、長く生きてきた人間としての尊厳をもっている。独りで家の手入れをし、誰の世話にもならずに生きていこうとしている。
 ウォルトの心の中には、未だ朝鮮戦争の時の傷跡が残っている。勲章はもらった。だが、戦争とはいえ人を殺した罪の意識は消えない。ウォルトがしようとしたのは、自らの罪の償いだろうか。アジア人のタオとスーのために、彼がした行為は・・・・。
 人を殺した経験がある者のみが思う、生と死。それは、とても重い。

 若い人向けの映画もいいけど、日本映画ももっと老人が出てくる映画も撮って欲しいな。できれば、憎ったらしいような頑固ジジイや口うるさいババアがでてくるような映画。世の中、人に好かれるような老人ばかりじゃない。そうじゃない人間こそ、心の中にはいろいろな想いがあるのかもしれない。

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2009年4月27日 (月)

かわいい石像

 曼荼羅公園の周りには 8か院があり、きれいに手入れされたお庭には、いくつかの石像が置かれていました。

 なぜかドラえもんがいたり、お坊さんの親子?が手を合わせていたり、七福神、そして観音様も。
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2009年4月26日 (日)

曼荼羅寺の藤

 24日は、愛知県江南市の曼荼羅寺へ藤を見に行ってきました。ここは、ずーっと以前に行ったことがあるのですが、久しぶりに来てみたら、藤棚の様子がずいぶん変わっていました。
 曼荼羅寺公園の藤は、以前はとてもきれいだったのですが、最近は樹の勢いが衰えて、藤の花房も短くなっていました。そこで、平成18年から3年がかりで藤の再生と公園の改修工事が行なわれたそうです。
 藤棚は広く大きくなり、根を踏まないように下には板が敷かれた道ができていました。藤は8分咲きくらいで、紫色の藤は花房が長く垂れ下がっていました。ピンクや白の藤もありましたが、こちらは少し短め。
 公園内には、他にツツジや牡丹の花も咲いており、池には鯉が泳いでいました。

 写真上左は、曼荼羅寺。善男・善女がお参りしています。もちろん、私も。
 写真上右は、公園内の高台から池と見下ろしたところ。
 写真下は、藤棚。
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2009年4月25日 (土)

ユリカモメ(夏羽)

094sannsenn5  19日の近鉄ハイキングで、木曽三川公園から多度駅へと歩いていく途中、ユリカモメを見つけました。水が入った田圃には餌がたくさんいるのでしょうか、ユリカモメは田圃の中を歩きながらちょっちょっと餌をついばんでいるようです。やはり河口からここまで飛んできているのでしょう。
 ここのユリカモメは、以前津島神社で見たときとちょっと違って、頭が黒い夏羽になっていました。

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2009年4月24日 (金)

ビデオカメラ

「魚」

 先月、ビデオカメラを買いました。さっそく河川環境楽園に行って、観察窓から泳いでいる魚を写しました。写すのは、簡単。それをテレビで見るのも簡単。
 でも、ビデオはそのままでは見るのに時間がかかるし、おもしろくもない。やはり編集して良い所だけ短時間で見られるようにしないと意味がありません。そこで、パソコンのソフトを使っていろいろやってみたのですが、なかなかうまくいかなくて、ずーっとほかってありました。
 でもやはり何とかしたくて、再度トライ。ソフトを3つほど試して、ココログにもアップできるようになりました。映像の拡張子が違うので、そこが難しかったです。

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2009年4月23日 (木)

庭の花

094hana1  4月も下旬になり、我が家の樹にも花が咲いてきました。
 写真左はハナズオウ(花蘇芳)。赤紫色の花がきれいです。
 写真下左はツツジ。柿の木の下で、ちょっと窮屈そうです。写真下右はおまけ、ネギボウズ。葱もこうなると硬くて食べられません。秋までおあずけかな。

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2009年4月22日 (水)

百万回の永訣

 柳原和子著「百万回の永訣」を読みました。私はこの本を、以前ネットの知人から読むように勧められました。でも、その時私はこの著者が癌で亡くなっていたことをネットで調べて知ったので、読む気にはなれませんでした。先日、ふと立ち寄った本屋でこの本の文庫版が並んでいるのが眼に入りました。ずーっと忘れていたのですが、どこかで見た題名だと思い、ひきつけられたのでしょう。それで、読んでみる気になりました。

 最初に友人の長尾クニ子さんについて書かれていました。医療過誤で娘を亡くし裁判で医療と戦ってきた彼女は、結腸癌で肝臓に遠隔転移があった。抗がん剤も効かず、衰弱してホスピスで亡くなった。
 その最中、2004年11月に柳原氏にも骨盤内に卵管がんの再発と肝臓転移が見つかった。医療過誤やエイズの裁判を支持し、がん医療を批判している自分が、現代医療の恩恵を受けていいのか、彼女は悩む。そして、玄米菜食や気功ウォーク、様々な代替療法も試してみる。だが結局は抗がん剤治療を受け、インターネットで世界中の治療法を探し、知り合いの医者に頼んで最高の治療ができる病院や医者を遍歴するのだ。

 ここには、救いは無い。私は癌医療は、何でもありの何にも無しだと思っている。治療法はたくさんある。うさんくさいのから、化学的なものまで。保険が利くものから未だ治験の状態のものまで。だが、100%治癒する保障がある治療法は存在しない。ある人には効くが、ある人には効かない。奏効率が30%もあれば、それは大発見なのだ。

 柳原氏は、骨盤内の癌は手術で取り、肝臓の癌は、冠動脈塞栓術をしてラジオ波で焼いた。肝動注もした。そして、2005年8月、柳原氏の体内にある癌は、少なくとも画像上は消えた。本はここで終わっている。希望に満ちた最終章。
 だが、私は知っている。彼女はその2年半後、2008年3月に癌で亡くなっている。

 再発癌の場合、抗がん剤等いろいろな治療法によって、多少癌の進行速度を遅くしたり、画像上消えたりすることは可能です。しかし、それは完治ではありません。この本でも、医者は根治という言葉は使っているようですが、完治という言葉は使っていませんでした。
 再発癌患者の体の中には、目に見えない癌細胞が多数残っており、いつかそれが増殖して、また命を脅かす。私たちが受けられるのは、延命治療のみ。
 問題は、その延命だ。いつまで延命できるのか?。そしてその質は?。私はドクターショッピングはしないと決めている。保険外の高価な治療も受ける気は無い。できれば、なるべく長く今の状態を維持し、入院して苦しむ時間を短くしたいと思う。

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2009年4月21日 (火)

スラムドッグ$ミリオネア

 昨日、「スラムドッグ$ミリオネア」を観てきました。いろいろと考えさせられる映画でした。

 ジャマールは、携帯電話会社のアシスタント。雑用やお茶汲みなどが主な業務だ。そのジャマールが”ミリオネア”という大金が当たるクイズ番組に出場した。そしてなんと1000万ルピーの賞金をもらえるところまで当ててしまった。あと一問で最高賞金の2000万ルピーに手が届く。
 だが、そこでクイズ番組の司会者は怪しんだ。学歴も無いスラム育ちの青年が、今まで医者や弁護士も解けなかったクイズをなぜ解いたのか?。どこかに不正があるのでは?。
 ジャマールは警察で取調べを受けた。だが、ジャマールが話したのは、彼の生きてきた人生。そこに全ての問題の答えがあった。知りたくなかったとさえ言える過酷な経験・・・・。

 私は、インドへ2度行ったことがある。ムンバイは、飛行場に立ち寄っただけだけど、デリーには2度行った。私が行ったのは観光地だけ。だからスラムは知らない。だけど、街を歩く中で、路上生活をしている人たちを見た。バクシーシ(物乞い)をする子供達にも出会った。貧富の差が激しい、インドの現実。

 ジャマールは、ムンバイのスラムで育つ。宗教の争いで母を亡くし、兄サリームと同じく両親を亡くした少女ラティカと共に、スラムで生き抜く。子どもを物乞いに仕立てて使う大人達から逃げ、電車に忍び込んでデリーへ。タージマハールでは、耳にした知識だけでガイドをして金を稼ぐ。だが、ラティカのことが忘れられないジャマールは、またムンバイへと舞い戻るのだった。

 これはやはりラブストーリーだと書いていた人がいたけど、確かにそうかも。ラティカを想うジャマールの一途な気持ち。まじめでちょっと気弱そうなジャマールが、とてもいい。
 最後に駅でのダンスシーン。いかにもインドらしい音楽と踊り。このあたりは「踊るマハラジャ」を彷彿させるインド映画の醍醐味でした。

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2009年4月20日 (月)

アクアワールドと木曽三川公園

 4月18日は、近鉄ハイキング「タンポポのアクアワールドとチューリップの木曽三川公園」に参加してきました。

094sannsenn2  石津駅でハイキングマップをもらって、歩き始めます。円成寺には、「史跡 薩摩工事義殉者の墓」と書かれた石碑がありました。
 海津橋を渡り、県道津島立田海津線を歩いて行きます。橋からは、広い揖斐川が見渡せました。遠くに養老山脈が見えます。
 中江橋、万寿橋を渡ると、すぐにアクアワールド水郷パークセンターがありました。園内は広く、体験教室などができる建物が数棟あり、奥には大きな蓮池と風車がある広場や花壇があります(写真上)。タンポポはもう綿毛になっているものも多くあまり咲いていませんでしたが、花壇には色とりどりのチューリップやネモフィラなどが満開でした。

094sannsenn1  海津温泉の前を通り、用水脇の道を歩いて行きます。田圃の向こうに木曽三川公園の展望タワーが見えてきました。
 北口から木曽三川公園へと入っていきます。木曽三川公園は、チューリップ祭の真っ最中。チューリップ花壇は、様々な色のチューリップが咲いていて、とてもきれいです(写真中)。また今年は三川池の周りにルピナスの花壇も作られており、こちらも赤や紫の花が色鮮やかでした(写真下)。 
 チューリップ花壇の向かいの広場にはミッフィーの花絵花壇があり、今日は着ぐるみのミッフィーちゃんが来て、子どもたちと記念写真を撮っていました。また、「ままず巨大花迷路」も作られていて、プランターに植えられた花の迷路を歩いていけるようになっていました。
094sannsenn4  昼食を食べ、地下通路を通って、展望タワーへ。タワーの前にはステージが作られていて、パフォーマンスをやっていました。
 道路を渡って、治水神社へもお参り。こちらは人もいなくて、ひっそりとしていました。

 油島大橋を渡り、田圃道を歩いて、鳥羽屋さんへ。ここで、「ところてん」のおもてなしがありました。夕食のおかずにとさしみこんにゃくと茹でた筍を買いました。
 そこからは、もうすぐに多度駅でした。 

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2009年4月19日 (日)

タイムスリップ森鴎外

 鯨統一郎著、「タイムスリップ森鴎外」を読みました。この本は、以前読んだ「タイムスリップ明治維新」 の前作です。つまり、こちらが一作目で、明治維新の方が二作目。この物語で、麓うららはタイムスリップという現象を知り、タイムスリップしやすい体質になってしまったのです。

 森鴎外こと森林太郎は、1922(大正11年)7月8日の深夜、家を出て通りを歩いていた時に、渋谷道玄坂で誰かに突き落とされて、崖下に転落した。森林太郎が死にたくないと強く念じた時、それが起こった。林太郎は80年後の現在・渋谷にタイムスリップしてしまったのである。
 倒れて若い男にからまれていた林太郎を助けたのは、渋谷で遊ぶ女子高校生の麓うららと三須七海。森林太郎はモリリンと彼らに呼ばれ、仲間の本間香葉子や小松崎拓海にも助けられて、何とか自分が森鴎外であることを彼らに納得させる。そして、彼らの世話になり、アパートを借りて現代の知識を身に付ける。歴史書や小説を読み、なんとかして自分を殺そうとした人物を見つけ出し、以前の世界へ帰ろうと試みるのだ。
 だが、日が経つに連れ、歴史書の記述は変わり、森鴎外の著作は消えていく。果たして、森鴎外は事件を解決して、元の世界へ帰れるのだろうか?。

 いやー、おもしろかった。
 「作品内で森鴎外が何をするか、だれにも言わないでくださいー鯨統一郎」と表紙裏に書いてあるのだけど、ちょっとだけ書いちゃおう。
 森鴎外は、現代世界に見事順応しちゃうのだ。明治時代にドイツへ行ったくらいだから、日本と全然違う世界へ行って、そこで生活するなんてお手の物。その当時のベルリンに比べれば、80年後の日本にもなじめるというものだ。
 森鴎外は、ユニクロのTシャツとジーパンを身につけて、スニーカーをはく。テレビと本で歴史とニュースを知り、携帯電話も使いこなす。ワープロやパソコンも貸してもらって、インターネットもやってしまうのだ。
 どうやって、犯人を見つけて元の世界に帰るかは、本を読んでのお楽しみ。しかし、うまく考えたなーと思う。
 これで、ほんのちょっぴり文壇史は変わるのだけど、大筋では同じ歴史が続いていく。

 歴史の主要人物が現代へやってきたら、と考えるのもおもしろい。

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2009年4月17日 (金)

松代城跡と上田城跡

 12時、信州そばの店で昼食。
Takatou29  13時、松代城跡着。松代城は、甲斐の武田信玄が山本勘介に命じて築城した海津城が始まりだといわれており、江戸時代には松代藩真田家10万石の居城となり、明治5年に廃城となりました。今では石垣が残っているだけで、門などの一部が復元されています。
 太鼓門から城内へと入っていくと、本丸跡には桜が何本か植えられており、石垣とマッチして春らしい景観を見せていました(写真上)。城内の見晴台に上がって周りを眺めると、家並みの向こうに山々が聳えているのが、ずーっと見渡すことができます。ちょっと殿様気分になって、四方を眺めてみました。
Takatou28  城内は飲食禁止ですが、門を出て土塁の向こうへ行くと、そこはもう宴会場。ステージが造られて、地元の方々が歌やダンスを披露しています。家族連れは、シートを広げてお弁当。いつもの花見の風景でした。

 松代城跡を案内してくれた酒屋さんの店に寄って、最後は上田城跡公園です。14時50分着。ここは、真田昌幸公が築いた城で、二度にわたって徳川軍の攻撃から守り抜きました。現在は、隅櫓(写真中)や石垣・土塁が残っています。
 北櫓の前にあるお堀には、大きなシダレザクラがあって、それが櫓に被さるように咲いているのが、とてもステキです(写真下)。東虎口櫓門から中へと入って行きます。入り口近くの石垣Takatou26 に大きな真田石がありました。真田神社にお参りして真田井戸を見学。西櫓の石垣には上がれたので、そこから城内をちょっと見渡しました。
本丸跡の辺りは、ビニールシートがいっぱい。大勢の人達が花見宴会を楽しんでいました。 お堀の周りをずーっと歩いて行きます。林になっているところには、もうツツジが咲いていました。お堀の周りは桜並木。露店もずらりと並んでいい匂いがしています。私もやっぱりお八つ。大阪焼きを買って食べました。
 招魂社にもお参り。ここでは、桜とコブシの花が咲いていました。ぐるーっと一周して、また東虎口櫓門へ。本丸跡で、花見をしながらちょっと休憩。帰りは、西櫓の横から階段があったので、そちらを下りて行きました。
 16時、バスは出発し、途中2回休憩して、一路名古屋へと戻りました。 

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2009年4月16日 (木)

田中本家と臥竜公園

 6時30分起床。7時、朝食。
Takatou24_3  8時、バスに乗って出発。9時30分、田中本家着。
 ここは、江戸時代に栄えた豪商の館で、戦後の農地解放まで広い土地と財産を持っていました。屋敷の周りには土蔵がずらりと並んでおり、その中に庭園と本宅が建っています(写真上)。現在は、その土蔵の一部が博物館となっており、江戸中期から昭和までの田中家代々の生活に使用された品々が展示されています。
 この博物館の入場はオプションになっており、団体料金で500円でした。中に入ると、最初の部屋は特別展で、雛人形が飾られていました。江戸時代、明治時代、大正時代のそれぞれのお雛様が大きなガラスケースに並べられています。雛道具は少なかったですが、雛人形は徳川美術館で見たのよりも大きくて立派でした。また、抱き人形も多数展示してあって、こんなので子供たちが遊んだのだなーと思いました。
Takatou22  次の部屋には家具などがあり、その次の部屋には衣装も展示されていました。婚礼の着物や子どもの着物、私には価値は分からないのですが、たぶんかなり高価なもののようでした。什器や食器もすごい。昭和のものでは、子どもの遊び道具など、昔懐かしいようなもののありました。
 博物館を見た後は、中庭に出ます。大きな枝垂桜が咲いており、池と緑の木々がきれいでした。

 10時15分、バスに乗り、すぐ近くの臥竜公園へ。
 バスを降りて、遊園地や動物園の横をぐるーっと回って、竜ヶ池へと歩いて行きます。池の周りは桜並木(写真中)。Takatou23弁天橋の近くは未だ蕾も多かったのですが、奥へと歩いていくに連れ花もたくさん開いており、全体的には5分咲きぐらいでした。
 弁天橋の近くで、高校生が自分たちで企画して焼いたパンというのを売っていたので、おやつにそれを買って、食べながら散策。池には、ボートも浮かんでおり、家族連れがのんびりと花見を楽しんでいました。遊歩道は両側に桜並木があって、桜のトンネルになっています(写真下)。その脇にも道があって、そこには露店がたくさん出ていて、とても賑やかでした。
 池をぐるーっと1周して、桜を楽しんでバスに戻りました。

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2009年4月15日 (水)

レッドクリフ PartII

 昨日は、「レッドクリフ PartII」を見てきました。やはりお金を掛けただけのことはある、壮大な歴史物語になっていました。

 曹操軍と劉備・孫権の軍は、川をはさんで対峙していた。その頃、曹操軍で疫病が発生。曹操は、病死人を呉軍の陣へと船で送り、呉軍にも疫病を流行らせる。
 劉備は疫病を恐れ、孔明を残して呉軍を去った。孔明は一人、戦に勝つための策略を巡らす。矢が足りない呉軍に10万本の矢をもたらし、天空を見て風向きを読む。
 果たして、劉備・孫権軍は曹操軍に勝つことができるのだろうか?。

 結果は、もう歴史的事実として分かっている。曹操軍の船団は炎上し、曹操は命からがら魏へと逃げ帰るのだ。だが、そこへいくまでの道筋、それをどう描くかが監督の技量だろう。
 この「レッドクリフ」では、三国志演義とはちょっと内容が変えてあるが、有名なエピソードを上手に繋いで映画にしてある。
 尚香や小喬の活躍は、ちょっとした薬味。火責めで燃え上がる船団、陸戦では投石器が呉軍を襲う。英雄の活躍と切られ倒れる歩兵達。白兵戦の映像はすごい。あの映像を見て、ついワクワクとしてしまう私にも、攻撃抑制を喪失した怒りっぽい猿の衝動が残っているのだろうか。
 一つ残念なのは、最後の結末。私としては、敗走する曹操と関羽の対峙を見たかったなー。でも、3時間でそこまで要求するのは無理か。まあ、今回は孔明と周瑜の軍略が主というところで。
 壮大な歴史物語、一部とはいえよくぞここまで描いたと思いました。

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2009年4月14日 (火)

絵島囲み屋敷と進徳館

 絵島の話は、大奥でも有名なので、たぶん皆さん知っておられることと思いますが、ちょっとおさらい。
 江島は6代将軍の側室・月光院に仕え、出世して大年寄りになる。1714年に、月光院の名代として寛永寺・増上寺に参詣した帰りに、お供の女中たちと共に芝居小屋で芝居見物をした。そのため、江戸城の門限に遅れたことを咎められ、江島は芝居役者・生島との密会を疑われた。
 たった、これだけのことで1500人も人間が処分を受け、江島は遠国の刑に処せられて、高遠の囲み屋敷で一生をおくることになるのです。

 この絵島囲み屋敷は、1967年に原図を元に復元されたものだそうです。思っていたのよりも小さく狭い建物で、こんな狭いところに下女や番人に見張られて、33歳から61歳まで28年も暮らしたとは。いったいどんな心境だったのでしょうか。
 八畳ほどの狭い絵島の部屋を見て、私なら耐えられるだろうかと、ふと想像をしてしまいました。
 写真左が外観、中が見取り図、右が絵島の部屋。
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 進徳館は、1860年(万延元年)に高遠城の三の丸内の屋敷を文武場にして創設した藩の学校で、昔からの建物が一部残っています。
 こちらは大きく広い建物で、外側をぐるっと回って見学しました。
 写真左が玄関、中が建物を横から見たところ、右が生徒控室。
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2009年4月13日 (月)

高遠城址公園

 4月10日・11日とクラブツーリズム「高遠城址ではたっぷり3時間滞在! 美しき桜の3名城めぐり」のバスツァーに参加してきました。
Takatou7  8時名古屋駅集合。添乗員さんに会って、参加名簿を渡しました。今回のバスツァーは総勢30名弱。一人参加は私だけでした。
 名神高速道路から中央自動車道に入り、9時40分恵那峡SAでトイレ休憩。10時45分、レストハウス駒ヶ根でもトイレ休憩をして、お弁当を積み込みます。
 11時45分、勘介曲輪駐車場着。ここは、もう城址公園の入り口になっているので、すぐにグランドゲートから中へと入って行きました。ゲートからはもう満開の桜が見えました。タカトオコヒガンザクラは、小ぶりのちょっと赤い色の桜花です。咲いたばかりなので、濃いピンクの色が鮮やかでした。
Takatou8  奥へと歩いていき、桜雲橋を渡って本丸へ。桜雲橋からは、谷間を桜が埋め尽くしているのが見られます(写真上)。この辺りはすごい人で、「右側通行です。立ち止まらないでください。」と係の人が注意していました。問屋門をくぐって本丸跡へ。本丸があったところ一帯に桜が植えられており、とてもきれいです。
 南曲輪から二の丸の辺りには露店も出ていて、お弁当を食べている人もたくさん居ました(写真中)。私も二の丸で桜の木の下にシートを広げて、お弁当。桜を愛でながら食べるお弁当は、格別です。昼食後は、ちょっとのんびりお花見。無字の碑や荻原井泉水の句碑、靖国招魂碑などを見ながら白兎橋へ。ここからも谷間の桜がきれいに見えました。

Takatou10  その後、南ゲートの向こうにある絵島囲み屋敷と、北ゲートの向こうにある旧藩校の「進徳館」を見学。城址公園の周りも桜に囲まれていて、とてもきれいでした(写真下)。また、高遠城址公園へ戻って、園内をぐるっと1周。二の丸跡にシートを敷いてお茶休憩。桜を見ながら、しばし寝転んだりしていました。
 14時45分、バスに戻って出発。途中、レストハウス駒ヶ根と安曇野スイス村に寄って、買い物とトイレ休憩。
 18時30分、白馬八方温泉のホテルに着きました。19時から夕食。疲れたので、早めに寝ました。

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2009年4月12日 (日)

日本アルプスの山々と飛行機雲

 10日、11日とバスツァー「美しき桜の3名城めぐり」に参加してきました。行ったのは、高遠城址公園、田中本家、臥竜公園、松代城跡、上田城跡公園です。
 いいお天気に恵まれ、気温もアップ、桜も満開のツァーでした(詳細は後日)。写真はバスの車内から見た長野の山々と、その上の飛行機雲。
 長野県人は、山と言われたら、一つではなく山脈を描くとか。ほんとうにそう感じる車窓の風景でした。
Takatou2_2 

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2009年4月 9日 (木)

桃の花

Yamazakigawa7  暖かくなって、桜だけでなく桃の花も満開です。

 濃いピンクの花は、桜の劣らずきれいです。雛祭り、旧暦ならやはり4月。桃の花とお雛様も似合っていたことでしょうね。

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2009年4月 8日 (水)

山崎川の「四季の道」

 先日の駅ちかウォーキングでは、残念ながら桜は未だ咲き始めで、ちょっと寂しい思いをしました。そこで、6日はリベンジ。名古屋の桜のもう一つの名所へ歩きに行くことにしました。

Yamazakigawa4  地下鉄「新瑞橋」の駅を出ると、すぐ近くに大きな橋があります。これが駅名と同じ新瑞橋。桜の木のある方へ歩いていくと落合橋に出ます。橋からの眺めは、すごい。山崎川の川岸に沿って、片側にきれいな桜並木が続いています。川岸には菜の花がいっぱい。こちらも黄色の花が満開で、桜のピンクと似合って、とてもステキです(写真上)。
 川の両側は遊歩道になっていて、車が来ないので安心して歩けます。桜の木の下を、花を愛でながら、ゆっくりと歩いて行きました。

 山下橋の辺りからは、道の横に大きなスタンドが見えてきました。ここが瑞穂公園で、、広い敷地にラグビー場やYamazakigawa5陸上競技場、野球場、テニスコートなどが造られています。
 この辺りから、川の両岸が桜並木になっていて、満開の桜がそれは見事です。河畔に降りることもできるようになっており、コンクリートの護岸の上を歩いている人もいました(写真中)。
 陸上競技場を過ぎた辺りに山崎川親水広場がありました。桜の木の下に石のベンチなどもあったので、ここでお茶休憩。
 テニスコートのある辺りからは、道の両側にもさくらが植えられていて、ちょうど桜のトンネルのようになっていました。きれいな桜並木がずーっと続いています。白雲橋まで行くとYamazakigawa6、もう桜は少なくなってきました。ここで折り返して、次は、反対側に道を歩くことにしました。

 近くのベンチで、昼食。
 帰りのコースでは、北陸上競技場の辺りから河畔に降りてみました。川の下から、桜を見ながら歩いていきます。桜の花びらがハラハラと散って川面を流れていき、魚が時々水をはねるのを見ました。
 野球場の横は、遊具のある公園になっています(写真下)。お茶休憩をした後、また山崎川に戻り、桜を見ながら新瑞橋駅から帰りました。

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2009年4月 7日 (火)

タイムスリップ明治維新

鯨統一郎著「タイムスリップ明治維新」を読みました。私はSFが好きなので、時間旅行物はけっこう読んでいます。時間旅行をする場合、問題になるのが、過去を変えたら未来は変わるのか?ということ。例えば、恐竜の頃の世界へ行って、蝶々を1匹踏み殺したら、歴史が全て変わってしまうのだろうか?。

この本では、過去を少し変えると、歴史の支流ができることになっている。そして、違いが大きくなると、それはもう支流として確立してしまい、元の歴史とは別の道を歩み始めることになる。だが、違いが小さくなれば支流は消滅し、元の歴史に統合される。ここでは、24世紀に次元移動装置が発明され、25世紀には歴史の支流ができないように見張る統一執行部が作られていた。

 麓うららは、20世紀の高校生。歴史のテストで赤点を取り、次のテスト・明治維新のために勉強をしていた。ところがある夜、25世紀から来た剣崎薔薇之介に犯されそうになり、なんと江戸時代末期にタイムスリップしてしまったのだ。うららがやってきた江戸時代は、実は支流だった。ここでは、25世紀からの犯罪者が小栗上野介に成りすましており、歴史を変えようとしていたのだ。
 また、25世紀の統一執行部員・森の石松もこの世界に来ており、うららは石松や薔薇之介と共に、桂小五郎、中村半次郎、勝海舟、坂本竜馬、大久保利通など明治維新に関わる人物を助けて、無事明治維新を起こさせて、歴史を元に戻そうと試みた。
 果たして、元の歴史どおりに事件は起き、明治維新は成功するのだろうか?。

 明治維新というのは、日本の歴史のターニングポイント。ここでは、いろいろな重要事件が次々と起きていく。こういう時代を時間旅行するというのは、おもしろいと思う。

この物語では、女子高生が歴史の勉強として、明治維新の黒幕を探るという視点から見ていくというのがミソかな。うららが千里眼だと偽って未来の予言をし、歴史上の人物と関わっていくところも興味深かったです。
 ちょっとハチャメチャなところもあり、架空の人物・森の石松や鞍馬天狗が実在することになったり、同時代のリンカーンやノーベルが日本に来たり。
 私も時間旅行をやってみたいけど、その時代に暮らすのはイヤだな。陰からこっそり見るほうが楽しいと思う。

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2009年4月 5日 (日)

モンゴル料理

 昨夜は、パソコン通信時代からの知人達とオフ会をしました。場所は、モンゴル料理店。店の内部はモンゴルの住居・パオのような形になっていました。途中で、モンゴルの歌も聞かせてもらい、なかなか良かったです。
 モンゴル料理も美味しい。羊の肉が中心ですが、臭みは無く、柔らかかったです。気に入りました。モンゴルにも行ってみたくなりました。

 写真上左は、馬乳酒。他に牛乳酒や日蒙酒もあり、皆さん飲んでいました。私が飲んだのは、アラシャン茶(甘い紅茶の味)とハラ茶(普通の紅茶のような味)。
 料理は、次のようなものを食べました。チャンスンマハ(羊の骨付き丸ごと塩茹で・写真上右)。キュウリサラダ。羊肉の春雨炒め(写真中左)。モンゴル土鍋うどん(写真中右)。ブーズ(小籠包のようなもの)。串焼。ホルホク(石焼肉・写真下左)。モンゴル岩塩焼き飯。ホーシュラ(羊肉のパイ包みのようなもの・写真下右)。
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2009年4月 4日 (土)

役所からの通知

 役所から2通の封書がきました。

 一つは、定額給付金申請書。
 私は、12000円いただけるのですが、さて、これをどうしよう。
 私は、定額給付金には反対でした。なので、はいありがとうともらって、麻生首相の思惑に乗る気はありません。かといって、受け取らず政府に返したところで、ろくな使い方をしてくれるとは思えない。
 ”高速道路ETC搭載で一律1000円まで”などという愚行をする与党。これは、定額給付金以上の無駄遣いです。CO2を増やすなー。地球温暖化を促進するなー。資源小国が石油の消費を増やしてどうする。今石油はまた安くなったけれど、限りある資源なのに。
 私はさほど裕福ではないけど、食べるのに困っているわけではない。お金を必要としているところはたくさんあります。地域の施設や趣旨が賛同できる団体に寄付をしようと思っています。

 もう一つは、「共済組合等加入記録の確認のお知らせ」です。
 以前、「宙に浮いた年金」で書いた、大学卒業後2年間勤めていたところの共済組合の記録が、その用紙に載っていました。
 おお、これで私の2年分も年金記録に統合されるようです。こういうことをきちんとやってくれるようになったのは”ねじれ国会”の成果。やはり野党には頑張ってもらわなくては。

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2009年4月 3日 (金)

桜と小鳥

 先日、桜を見に行ったら、小鳥がせっせと花をついばんでいました。ウグイスかなー?。ホーホケキョという鳴き声が聞こえたのだけど。

 この鳥の名前は「シメ」というのだそうです。澄子さんに教えていただきました。
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2009年4月 2日 (木)

花の饗宴

 写真上右は、蛇池公園。ピンクのボケと白いユキヤナギ。
 写真上左は、庄内緑地。紫木蓮とコブシです。
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2009年4月 1日 (水)

バードケージ

  清水義範著「バードケージ」を読みました。
 もし、あなたが一億円を好きなように使っていいと言われたら、どうしますか?。ただし、「期間は3ヶ月。楽しく使うこと、寄付はダメ、投資もダメ、実際に自分が使ったり楽しんだりするために使うこと。」という条件で。

 浪人生の竹沢遥祐は、ある日駅で線路に落ちた男の人を助けた。だが、その人は連れて行かれた病院から逃げ出してしまい、どこの誰か分からなくなってしまった。瀬戸川は、自分のことを知られたくなかったので、病院から逃げ出したのだが、遥祐にはお礼をしたいと思い、駅で待っていて、話しかけてきた。
 そして、瀬戸川が出してきたのが上記の話である。瀬戸川は、中堅の建設会社の社長で、金が全てだと思い、そのために働いてきた。だが、妻には愛想をつかされ、娘は自殺した。そして、生きるのがイヤになり、死んでもいいと思っていたのだ。

 遥祐は、最初自分の楽しみのために金を使った。今まで欲しいと思っていても買えなかったもの、高級な時計、パソコン、洒落た自転車、ガチャガチャの全種集め、そして、家を出てマンションを借り、若向きの家具を揃えた。毎日、美味しいものも食べほうだい。だけど、浪人生が一人で使える金などたかがしれている。メチャ高級品は似合わないのだ。

 この辺り、私にもよく分かる。私はそんなにたくさんのお金は無いけれど、癌が再発して仕事を辞めたとき、多少の退職金はもらった。もう、自分は長生きできない、そう思ったら、このお金使い切ってもOK。よーし、贅沢してやろうと思った。でも、美味しいものと言っても、一人で食べに行くとなると、高級フランス料理店や会席料理は無理。一人では間が持たない。お酒も飲めないし。結局、ちょっと洒落たイタリアンか中華の店ぐらいか。ほんとうは、回転寿司や喫茶店の方が気が楽。
 遥祐は物を買ったけど、寿命が無いと思っている人間には物は要らない。ほんとうに絶望していた時は、服を見たって、来年は着れないかもっと思ったら、買う気にもならなかった。人間、生きる希望が無いと、物も買えない(私も今は服も物も買っている。絶望は長くは続かないので)。

 結局、遥祐は自分のためにはお金を使わなかった(2500万円くらいは使ったが)。だが、ほんとうに生きたお金の使い方を知った。それは、人を幸せにするために使うこと。自分だけではなく、多くの人を。そして、瀬戸川もその中で生きがいを見つけていったのだ。
 人生に必要なのは、some money。お金は、あり過ぎても無さ過ぎても、良くないんだな。

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