出発
今、中部国際空港にいます。昼食を食べました。
14時発の秋田行きに乗ります。
17時半に新玉川温泉に着きました。これから夕食を食べて、お風呂に入ります。
こちらの天気は小雨。来た時に道路に付いている気温表示を見たら、14度でした。ちょっと小寒いです。
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今、中部国際空港にいます。昼食を食べました。
14時発の秋田行きに乗ります。
17時半に新玉川温泉に着きました。これから夕食を食べて、お風呂に入ります。
こちらの天気は小雨。来た時に道路に付いている気温表示を見たら、14度でした。ちょっと小寒いです。
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ご近所の家で咲いていました。あまりにきれいだったので。
サボテンってごつい見かけのわりに、かわいい花を咲かせるのですね。でも、花の命は短くて。それ故に貴重な感じがします。
明日から1週間、新玉川温泉へ湯治に行ってきます。
上げ膳据え膳でのんびり、岩盤浴をして温泉に浸かって。
しかし、玉川温泉の方はノロウィルスの患者が出たため、5月1日から15日まで自主休業していたとか。新玉川温泉の方は、なんともなかったそうですが。玉川温泉の方は、自炊で長逗留している人も多いから、それが問題だったかなっと思うのだけど。昨年滞在した時も、ノロウィルス防止で岩盤浴からの帰りには消毒をしっかりさせられました。
それと岩盤浴へ行く遊歩道が、落石防止用ネットが破損したため通行禁止だそうです。バスで行くか、30分程歩くか。いい運動になりそうなので、私は歩こうかと思ってます。
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映画「スター・トレック」を見てきました。私が封切の日に見に行くということは、滅多に無いのですが、実は明後日から旅行に行くためレディス・デイまで待てない、という事情があるのです。ちょいと散財でしたが、見に行って良かったです。
いやー、懐かしい。テレビシリーズに映画、スタートレックのシリーズはかなり観ました。あの宇宙船・エンタープライズ号。ジェームズ・カーク艦長、スポック博士、ドクター・マッコイ、チェコフ、スールー、みんないました。若き日の彼らが。もう、それを見ただけで胸がわくわく!。
話は、ジェームズ・T・カークの父親から始まる。彼が乗っていた船は、謎の宇宙船に襲われた。艦長は異星人に捕らわれ、彼は艦長代理として船を指揮し、妻と乗務員を逃がして、自らは敵艦に突っ込む。妻は逃げる途中で息子を産んだ。
22年後、成長したジェームズ・カークは、惑星連邦艦隊に志願する。そして、そこでスポック中佐に出会う。冷静なバルカン星人のスポックと型破りなカークは、性格も考え方も水と油。だが、お互いに相手の優秀さは認めていた。
謎の宇宙船にバルカン星が襲われた時、彼らはエンタープライズ号に乗って、救出に向かう。それはエンタープライズ号の処女航海。艦長はパイク、サブ・リーダーはスポック、そしてカークは謹慎中だったのだがマッコイのおかげで乗り込んでしまった員数外。
しかし、22年前と同じ謎の宇宙船が現れ、パイクは捕らわれる。そして、カークはスポックと共に戦うのだった。
スタートレックのファンだったら、絶対に見逃せません。何と言っても、ミスター・スポックの母親が出てくるのです。彼女は地球人だったのですよ。知らなかったなー。
カーク艦長も、テレビシリーズではもう落ち着いた大人だったのですが、この映画ではとんでもない若造。子供のくせにスポーツカーを乗り回したり、酒場で喧嘩をしたり、女をくどいたり。でも、けっこうカッコイイ。
ブラックホールにタイムトラベル、未来(あるいは過去)の自分に出会ったら?、などというSFらしいストーリー展開もあって、見飽きません。御都合主義というか偶然が多いような部分もありますが、まあその辺りは話の都合ということで。
ともかく2時間、懐かしさを感じながら、楽しめます。
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5月10日に参加した一宮歩こう会主催の善光寺街道ウォーキングで、「つぼイノリオと挑戦しよう!尾張一宮学・お国自慢10」の宣伝がありました(写真上)。
この一宮歩こう会主催のウォーキング、”知らない町内を歩いてみよう”のシリーズでは、ウォーキングマップの裏に問題が書かれていて、コースの途中で名所・旧跡の説明があり、ゴールで解答が掲示されるようになっています。そして、その問題を集めて「尾張一宮学」の検定試験が行なわれる、ということになっています。
私も何回か、このウォーキングに参加しているのですが、なかなか続けて参加できないし、問題も難しくてメリットも無い、ということで試験を受ける気にはなれませんでした。しかし、今回は無料で、つぼイノリオ氏の話が聞けてバッジ
ももらえる、ということで、行って来ました。
先着500人とあったので、ちょっと早めにいったのですが、会場はけっこう空いていました。それでも100人以上は来ていたようです。
つぼイノリオ氏の話は、挑戦するとあったので、かなり詳しい歴史的な話が聞けるかなと思っていたのですが、そちらは期待はずれ。七夕のことや信長・道三の話をちょっとおもしろく語った程度でした。
お国自慢の10問は、簡単と言いながらもけっこうマニアックで、私は6割しか合っていませんでした。でも、バッジ
は全員もらえたので、OK。写真では大きそうに見えますが、2cm程度のかわいいバッジでした(写真中)。
ついでにお国自慢の問題も載せておきますので、皆さんも尾張一宮のことを知ってね(ファイル 下)。
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鶴舞公園の竜ヶ池にある「酒匂の滝」は、サッポロビール名古屋工場の冷却水を引いて
造られたものですが、このサッポロビール名古屋工場の遺品が残っています。24日やはり鶴舞公園の近くに用事があったので、ついでに行って見てきました。
サッポロビール名古屋工場は、1924年(大正15年)に現在イオン千種ショッピングセンターと高層マンションが立ち並ぶ辺りに建てられ、2000年まで操業していました。今そこには、1931年に造られた接待所・浩養園がビール園として残っています。
また、隣接する高松南公園には、名古屋工場醸造所の
壁の一部がレリーフ(写真上)として残されており、大きな銅製の第2仕込み槽も置かれています。これは1968年製で、直径5.5m、容量75000リットルです。現在仕込み槽はステンレス鋼製に変わってきており、この仕込み槽は銅製最後の年代のもので、醸造技術の転換点を示すものとして、保存されたのだそうです(写真中 仕込み槽の向こうはビール園)。
そういえば、清洲にあるキリンビール工場へ行った時も、玄関前に銅製の仕込み槽がモニュメントとして残っていました。やはり、昔のビール醸造を偲ばせるものだったので
すねー。
写真下はおまけ。鶴舞公園の菖蒲池。21日に行った時は未だあまり咲いていなかったのですが、たった3日でたくさんの花が咲いていました。
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今日は、岩盤浴へ行ってきました。私が行く岩盤浴の店は漫画喫茶の2階にあるので、岩盤浴をやった後は、そこでランチを食べて漫画を読んでくるのが日課になってます。今日もそうしてきました。
その漫画喫茶で、最近はまっているのが、この漫画。風間宏子の「ダーク・エンジェル」。
主人公は美貌の女性医師・氷川魅和子。彼女はフリーの外科医である。以前は、大学病院に勤めていたのだが、そこの医療のあり方に疑問を覚えて飛び出して以来、どこにも属してはいない。医師名簿にすら名前は載っていないのだが、その腕は超一流。彼女を知る者は、難しい手術に彼女を呼び、治療を頼むのだった。
魅和子は、ホテル住まいをしており、頼まれれば外国へでもどこでも行き、患者のために治療を行なう。治療方針も、常に患者の立場に立って作成していた。その技術は”地上に降りたメスを持つ天使”とさえ呼ばれ、最新の医療技術にも長けていた。
こう書くと、手塚治虫の「ブラック・ジャック」の女性版のような感じだけど、一つ決定的な違いがある。それは、風間宏子の漫画では、治せない病気の存在が描かれているのだ。その代表的なものが、末期がん。魅和子も末期がんの患者を何人も受け持つ。そして、魅和子は、医者の無力を感じつつも、患者が最後まで自分のやりたいことを全うできるような方法を探るのだ。
今日読んだ17巻でも、肺がんの患者がいた。彼は、サーカスのピエロ。彼は自分の病気を知ってはいたが、最後まで舞台に立ちたいと思っていた。だが、今のサーカスでは、彼の演技は古臭く、とうとう団長からも舞台を降りてくれと言われてしまった。自棄になって酒をあおり、喀血して病院に担ぎ込まれた。だが、進行した肺がんを治す術は無く、病院でも荒れる毎日だった。そんな彼が知ったのは、小児病棟の患者達。以前読んだクラウン・ドクターの話を思い出し、彼はピエロとなって病棟を訪問し、子供たちに笑顔を与える。そう、彼は病院という舞台で、最後の日々を生きるのだった。
人はいずれ必ず死ぬ。病気であれ、事故であれ、いつか寿命が来る。それは、早い人もいれば遅い人もいる。でも、最後まで自分らしく生きることができるなら、悔いは無いかもしれない。医療は、その手伝いができるかも。この漫画は、それを示唆しているような気がする。
これを読むと、泣けてしまうんだな。漫画喫茶でうるうるしてるなんて、ほんと恥ずかしいのだけど。感動できます。
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東山動植物園には何度も行ったことがあるので、午後からは名古屋大学の博物館を見に行くことのしました。来た道を戻って名古屋大学へ。名古屋大学の博物館は、2000年
に全国5番目の国立大学総合博物館として造られました。入場無料で、誰でも入館できます(写真上)。
古川記念館の2階展示スペースでは、「大陸アフリカ」の特別展が行なわれていました(写真中)。
館内に入ると、”地質と資源”のコーナーでは、岩石や鉱石の展示がありました。アフリカ大陸は非常に古い岩石や鉱石が豊富に産出するそうで、大きな石や小さな石がいっぱい。砂漠の砂を偏光顕微鏡で見ると色合いがそれぞれ違うのがおもしろかったです。私がモロッコで買ってきたの
と同じような砂漠のバラもありました。また、旧人類の頭蓋骨(レプリカ)も興味深かったです。
”民族と文化”のコーナでは、仮面文化の紹介が有り、仮面や衣装が展示されていました。
”環境と農業”のコーナーでは、新しい稲・ネリカ米の紹介や大地溝帯の写真があり、ケニアで見た風景を思い出して懐かしかったです。
他に常設展示の電子顕微鏡とその写真、濃尾平野の研究などがありました。
3階には、名古屋大学におけるノーベル賞研究ということ
で、ノーベル賞の受賞風景や4人のノーベル賞受賞者(野依・益川・小林・下村)の研究内容についての展示がありました(写真下)。
野外観察園は、ちょっと離れた場所にあったのですが、そちらも行ってみました。ここは見学できる場所はそれほど広くなかったのですが、木がうっそうと茂っていました。絶滅するおそれがあるヒトツバタゴやホルトノキ、教授が研究のために植えられたトベラなどがありました。
名古屋大学駅から地下鉄に乗って、帰りました。
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今日の下見には、ウォーキング協会から5名、中部「産遺研から4名、名古屋市役所から1名、インダストリアル・ツァーズから1名の参加でした。
ウォーキングでは、公会堂の前を通り、噴水塔と奏楽堂を見て、鈴菜橋を渡り、菖蒲池、竜ヶ池の横を通って出口に出ました。ちょうどその正面が名古屋工業大学の正門で、ここで産遺研の方に会って、ちょっと説明を聞きました。構内にある鈴木禎次氏の記念碑を見学。
公園に沿って南へ行ったところに八幡山古墳があります。この古墳は5世紀中頃のもので、高さ10m、直径82mの県下最大の円墳です(写真上)。
ここからは、東へとどんどん歩いて行きます。川原神社で小休止。ちょうどここがウォーキングの中央地点で、当日もここで休憩を取らせていただけることになっています。この川原神社は、平安時代初
期の「延喜式」にも載っている格式の高い神社だそうです(写真中)。そのすぐ近くに「マンドリン音の博物館」があります。1920年頃からの世界中のマンドリンのレコードや楽器が展示されているそうです。今日は下見なので、建物を見ただけで先へ進みました。
途中、細い飯田街道(塩の道)を通り、南山大学の横を通って、名古屋大学へ。ここには、名古屋大学博物館があります。ここも建物を見ただけ。大学構内の道を通って外へ。そこからはもうすぐに東山動植物園でした。
東山動植物園は、1918年に開園した鶴舞公園付属動物園が始まりで、そこが手狭になったので、1937年に東山公園へと移転しました。戦時中、ライオンやヒョウなどが次々と射殺される中、最後までゾウを世話した話は有名で、戦後子供たちにゾウを見せようとゾウ列車が走ったこともありました。
現在、動物園は約550種類の動物を有しており、植物園には約7000種類もの植物が植えられています。また、都市娯楽・消費文化分野で経済産業省「近代産業遺産群33」に認定されています。
ここで、インダストリアル・ツァーズの方が一人みえて、全員で打ち合わせ。ウォーキングのコースや道標について確認しました。解散して、すぐ近くのマックで昼食。
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5月21日は、中部産遺研が協力しているウォーキング大会の下見第2回目に参加してきました。今回の本番は6月20日に行なわれます。私は、そこで鶴舞公園の説明に参加する予定です。
集合時間よりちょっと早めに公園へ行って、先ずは下見。
鶴舞公園は、今からちょうど100年前の1909年に名古屋市の公園第1号として誕生しました。その年に鶴舞公園の北東にある名古屋高等工業学校(現在の名古屋工業大学)も設立されました。この名古屋高等工業学校建築科の初代建築科長・鈴木禎次氏が鶴舞公園の噴水塔(写真
上)や奏楽堂などを設計し、今も公園の中央に建っています。1930年には、名古屋市公会堂も公園内に建てられました。
とても広い公園で、他に鶴舞中央図書館、陸上競技場、野球場、テニスコートなどもあります。
JR鶴舞駅から出ると、すぐ目の前が鶴舞公園です。
正面広場からまっすぐに広い道を歩いていくと噴水塔があり、その横にはバラ園が造られています。今はちょうどバラが満開で、とてもきれいです(写真中)。
奏楽堂の横を歩いていくと胡蝶ヶ池があります。日本庭園風の池がステキです。その奥に菖蒲池もあり、菖蒲も咲き始めていました。
その先の竜ヶ池には、酒匂の滝があります。この滝は、1955年にサッポロビール工場の冷却水を引いて造られたものですが、今ではビール工場は無く、滝だけが残っています。また、池の中にある浮見堂は日本庭園らしい風情がありました(写真下)。
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新井克昌著「日本列島放棄」を読みました。
最初は、小松左京の日本沈没と同じような小説かな、と思っていました。先ず宮城沖大地震がおき、次に東南海地震・南海地震と続けておきる。
だが、その先は違った。日本沈没が書かれた頃には無かったもの、原子力発電所の放射能漏れである。日本には、16ヶ所に計53基の原子力発電所がある。 小説では、その内の7ヶ所13基の原発が撥ねた(放射能漏れを起こした)ことになっている。福島・女川・浜松・川内・美浜・敦賀・伊方、この7ヶ所から漏れた放射能が覆う300km圏内には、北海道と沖縄を除く日本の大部分がすっぽりとはいってしまうのだ。
伊澤一哉は、牡鹿半島にある老人と子供の共同施設・海辺の園を運営していた。そこを宮城沖大地震が襲った。ニュースでは、福島原発で放射能漏れがあったが、女川原発は自動停止したと伝えられた。だが、女川原発で働く木原からは何の連絡も無い。彼は一哉の親友であり、海辺の園で働く円香の婚約者なのだ。一哉は危険を承知で、原発へ行き、木原が死んでいるのを知った。女川原発も放射能漏れを起こしていたのだ。
東南海地震・南海地震と次々に大惨事が起き、原発も撥ねていく。その上、台風が襲来し、放射能は全土に散り撒かれていった。
政府は、日本列島居住不可と判断し、北海道と沖縄を除く地域に住む9500万人の人々を国外脱出させることにした。日本人を受け入れてくれると表明した64の国と地域に向け人々は順次出国していった。
だが、高度の放射能汚染をしてしまった一哉は出国を止め、救助犬・セーブと共に牡鹿半島に残った。そして、4年・・・・。
この本は、読むのにとても時間がかかりました。あまりに真実に近く、すいすいと読めなかったのです。このような未来だけは、来て欲しくない。つくづくそう思う。でも、この地震国・日本に多くの原発があることは事実で、実際に2007年の新潟県中越沖地震では、柏崎刈羽原発で事故が起こり、停止している。浜松原発の下には、断層があるとも言われており、もし東海地震が起きたら・・・。
5月18日にはフランスで製造されたMOX燃料(プルトニウム・ウラン混合酸化物)が日本に運ばれ、玄海原発・伊方原発・浜岡原発で順次使われる予定です。しかし、このMOX燃料は毒性が強く、もし放射能漏れがおきればウランだけの場合より被害は大きくなる。事故が起きる確率も高い、という意見さえあります。
私は、多少電気代が高くなってもいいから、自然エネルギーの太陽光発電や風力発電、地熱発電などをもっと増やして欲しい。原子力発電所にかけるお金があるなら、そちらに回せばもっと研究が高まり、電力が増やせると思うのですが。
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映画「天使と悪魔」を見てきました。
キリスト教関係の話は、教義になじみが無い私にとっては分かり難いので、ずーっと敬遠していました。なので、前作の「ダ・ヴィンチ・コード」も見ていませんでした。ところが、先日テレビで「ダ・ヴィンチ・コード」を見たところ、キリスト教の教義以上に謎解きの面白さが勝っていたので、これならいいかなっと思って続編を見に行く気になりました。
CERN(欧州原子核研究機構)では、実験によって反物質を作り出すことに成功した。だが、その物質はカプセルごと盗まれてしまった。反物質は通常の物質に触れると巨大なエネルギーを発して爆発する。今はカプセルの中に浮かんでいるが、電源が切れると落下するのだ。バッテリーのタイムリミットは6時間!。
その頃、ヴァチカンでは教皇が亡くなり、新しい教皇を選ぶコンクラーベが行なわれようとしていた。だが、候補者として有力な4人の枢機卿は、何者かにさらわれてしまった。そして、イルミナティから脅迫状が届く。1時間ごとに一人ずつ4人の枢機卿を殺し、最後にヴァチカンは光に包まれるだろうと。
イルミナティ、それは反キリスト教の科学者たちが作った秘密結社。ガリレオ・ガリレイはその中心人物だった。
反物質と4人の枢機卿の行方を調べるため、ロバート・ラングトン教授はヴァチカンに呼ばれた。そして、CRENの科学者・ヴィットリアも呼ばれ、2人は協力してイルミナティの謎に挑んだ・・・・。
イタリアには多数の教会があり、それぞれが歴史を持っている。様々な彫刻が指し示す謎。つくづく面白いなーと思う。そして、最後のどんでん返しが効いていた。終わりかと思ったら続きがある。単なるハッピーエンドでは無い。この辺りが脚本(原作?)の良さかな。
私は古代の歴史の方が好きで、未だ文字さえも無かった頃の遺跡に惹かれる。だからヨーロッパの建物などは私にとっては新しすぎて興味が湧かなかった。だがこの映画を見ていると、近代の歴史もいいなーと思える。歴史書から読み取れる謎、これも興味深い。うーん、こうなるとヨーロッパにも行ってみる価値がありそう。
協会にもオベリスクが建っているとは知らなかった。このオベリスクも今回の謎を解く鍵。私が初めてオベリスクを見たのは、エジプトだ。カルナック神殿の音と光のショー、とても印象的だった。
しかし、私はやはり一神教を好きにはなれない。なぜなら、それは他を排除するからだ。それ故に宗教戦争が起こり、神の名の下に血塗られた歴史が綴られる。
私の好みは多神教。八百万の神々としておけば、どの神様も平等な立場で、人は自分の好みの神様に願いを捧げればいい。古代のアニミズムのままがいいかな、と思うのだが。
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善光寺を出て、来た道を戻り、踏切を渡って田舎道へと歩いて行きます。天竜川に架かる阿島橋の手前の河川敷は、マレットゴルフ場コースになっており、ゴルフを楽しんでいる
人達が何組かいました。敷地は広く、ゴルフをやっていない場所もあったので、木陰のベンチで昼食。ニセアカシアの木が多数植えられており、白い花が風に散ってきれいでした。
阿島橋を渡って少し行ったところに椋鳩十記念館がありました(写真上)。この記念館は図書館に併設されており、教科書でおなじみの椋鳩十の作品が載った児童書や椋鳩十の生い立ち、書や原稿などが展示されていました。
この建物があった場所は、喬木村独立小学校の跡地だったようで、門の脇に碑が建っていました。
民家の脇を通る細い道を歩いて行きます。途中にあった小さなお寺・医泉寺には、藤原時代末期の日光・月光菩薩像が祀られており、喬木村指定重要文化財と書かれていまし
た。ここでお参り。境内には、クリンソウの花が咲いていました。
ゆるいのぼり坂の舗装道路を歩いていくと、クリンソウ群生地と書かれた看板がありました。池の周りが湿地になっており、そこに赤やピンク、黄色のクリンソウがいっぱい咲いていました。クリンソウは、何段にも輪生して咲く様が寺の九輪に似ていることから名付けられたそうで、半日陰の湿地を好むそうです(写真中)。
そのすぐ先が、九十九谷森林公園でした。ここは、今クリンソウまつりが行なわれており、クリンソウの鉢植えを売っている店や食べ物の露天が出
ていました。ここのクリンソウは栽培されているらしく、木道の脇にきれいに並んで植えられており、水を通すパイプも設置されていました。クリンソウを見ながら、木道に沿って歩いて行きます。木道は群生地をぐるりと囲むように続いていました(写真下)。
木道の端から山道を上っていくと、そこはもうゴールの駐車場でした。帰りは2号車に乗りました。バスは、14時20分に発車して、途中1回休憩し、16時50分に名鉄バスセンターに着きました。
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5月15日は、名鉄バスツァーハイキング「元善光寺御開帳とクリンソウ咲く南信州へ」コースに参加してきました。
一宮市黒田にある善光寺如来旧跡から、阿弥陀如来が本多善光を背負って飛んでいったといわれる飯田元善光寺へと、私も行ってきました。
今回はバス3台で、私は3号車に乗りました。バスは、8時に名鉄バスセンターを出発し、恵那峡SAで休憩して、10時50分に元善光寺臨時駐車場に着きました。
そこから細い道を歩いていくと、土産物店が並ぶ道の向こうに元善光寺の入り口がありました(写真上)。
階段を上っていきます。山門をくぐり(写真中)、また階段を
上っていくと目の前に大きな回向柱が立っていました。この回向柱に結ばれている五色の布は、前立本尊様の右手に結ばれた金糸に繋がっており、柱に触れることで、人々は如来様と結縁されるのだそうです。もちろん私も、回向柱にしっかりと触れてきました。
それから、本殿にお参り(写真下)。
ご開帳中は、宝物殿拝観と西国三十三ヶ所札所観音の特別参拝が無料ということで、本殿に上がってお参りをさせていただいてから、宝物殿へも入っていきました。
この宝物殿はすごい!。釈迦涅槃木像などの数々仏像、雪舟寒山拾得図などの絵や掛け軸、一連の地獄・極楽図など目を見貼るような物が多数展示されていました。
そこから階段を上がった奥に、平和堂がありました。ここには、西国三十三番札所観音がお祀りしてあり、お砂踏みができるようになっていました。床に張ってあるビニールシートの下に砂が敷いてあるので、順にそこに乗ってお参りをしました。
本殿に戻り出口を出ると、戒壇巡りもできるようになっていたので、入っていきました。中は真っ暗なので、手すりにつかまってそろそろと歩いて行きます。中ほどのところが薄明るくなっていたので、錠前が分かり、しっかりと触ってきました。そこからまた暗い中をそろそろと進んで出口へ。これでお参りは、全部終了。
訂正です。5月10日の山藤?と思った花は、ニセアカシアでした。今回のウォーキングで天竜川の河川敷にたくさん咲いていたので、間違いに気づいてネットで調べました。植物は未だ未だ、知らないことでいっぱいです。
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4月始めに申請した定額給付金が支給されました。
寄付をすると決めていたのですが、どこにしようかと少ない金額ながら悩んだ?結果、やはり次代をになう子供達のために使わせていただこうと思いました。
1/3は、他国の子供達のために。通販生活に載っていた、イラク医療支援とドイツ国際平和村に。
今だ政情不安なイラクでは、戦争で傷ついた子供達の治療も満足にできていません。自衛隊は撤退したけど、ほんとうの復興はこれから。この募金は、全額が現地の病院の医療支援に使われるそうです。
ドイツ国際平和村では、アフガニスタン、アンゴラ、タジキスタンなど世界各地の紛争地で傷つき、でも現地では治療ができない子供達をドイツに連れて来て治療をし、国に帰しているそうです。
そして、2/3は、日本の子供達に。あしなが育英会に寄付をしました。学校に行きたくても学費が払えない子供を少しでも支援したいから。こちらは、HPからクレジットカードで募金ができます。募金をクリックすると、すぐにお礼のメールが送られてきました。
あしながおじさんになるのは無理だけど、短足おばさんぐらいにはなれたかな。
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このたびは、あしなが育英会の活動にご理解いただき、ご寄付の申し込みを賜りまして誠にありがとうございます。
本会は、病気や災害などで親を亡くした遺児に奨学金の貸与や心のケアを行う民間団体で国などからの補助金・助成金は一切受けないで、全額寄付で運営されています。1988年発足以来26,600人に総額252億円を貸与し、本年度は6,000人の遺児に23億円の奨学金を貸与する予定です。
深刻さを増す不況の影響で、遺児家庭は貧困のどん底に押しやられています。1998年には200万円(一般勤労者所得比43.2%)だった遺児の母親の勤労所得が年々減少
し、2007年は134万円で一般の3割にまで落ち込みました。
また、日本の遺児のみならず、世界の遺児一人ひとりの自助・自立へとつなげていく寺子屋教育(読み、書き、計算)など海外の遺児支援活動にも力を注いでおります。
みなさまのご寄付が遺児と遺児家庭に届いたとき、そのお金は夢や希望、精神的な支えに変わります。
今後とも、温かいご理解とご支援をよろしくお願い申しあげます。
あ し な が 育 英 会
会 長 玉井 義臣
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【ご寄付の使途】 日本の遺児支援
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【ご寄付者氏名】
【ご寄付の金額】 8,000円
【ご送金の方法】 クレジットカード
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なお、今回のご寄付に関しましてご不明な点がございましたなら、大変お手数ですが、以下のお申込み番号を添えて、下記までお問合せくださいますようお願い申しあげます。
【お申込み番号】
【お問合せ先】
あしなが育英会 総務課
〒102-8639 東京都千代田区平河町1-6-8
TEL:03-3221-0888 FAX:03-3221-7676
E-mail:
URL: http://www.ashinaga.org/
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柿の木にも花が咲きました。小さな黄色い花です。左が雄花、右が雌花。
私は今まで柿に雄花があるのを知りませんでした。よく実がなる柿の木には、雌花しか見当たらなかったのです。ところが、家の西側にある小さな木、葉は柿の木によく似ているけど、今まで全然実がならなかったし、花も違うので別の木だろうと思っていたのを、ネットで調べたら、柿の雄花らしいのです。ええっー!。
柿は雌雄同株で、同じ木に雄花と雌花がつく、種類によっては雄花がつかない(富有柿は雄花がつかない)と書いてありました。我が家の木は片方は雄花ばっかり、片方は雌花ばっかりに見えるのだけど、どうなのかしら?。
ともかく、今年は柿の木も元気で、花がたくさん付いています。収穫はどうかな?。
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5月10日は、一宮市歩こう会主催のウォーキングに久しぶりに参加しました。善光寺街道というのは、京阪や江戸から善光寺参拝に向かう道をいい、いくつもあるそうです。今
回歩いた「善光寺街道」と呼ばれる道は、602年に信州善光寺の開祖・本田善光が通ったといわれている道で、一宮市木曽川町から浅井町をへて江南方面へと通じています。
9時に北保健センターへ集合して、受付。主催者の挨拶と準備体操があって、9時25分頃に歩き始めました。南へと歩いていき、頼朝橋を渡ります。これは、源頼朝が渡ったといわれる橋で、その先には頼朝が宝剣を奉納したと伝えられる剣光寺があります。
ここから東へと歩いて行きました。黒田小学校の横には、山内一豊誕生の地といわれている黒田
城址の碑があります(写真上)。踏み切りを渡った先にある法蓮寺には、一豊の父と兄の山内但馬守盛豊・十郎の墓があります。
織機工場のノコギリ屋根が残る路地を入った所に、善光寺跡の碑がありました(写真中)。本田善光が、阿弥陀如来像を背負い、黒田の地に立ち寄って一泊した時、阿弥陀如来がその労を哀れみ、善光を背負い信濃まで飛んでいったという伝承があります。そして、この阿弥陀如来像が信濃善光寺の本尊となったそうです。
そこから南にある籠守勝手神社には、5世紀中頃に継体天皇の父・弘計王と叔父・億計王が野宿したという伝承が伝わっています(写真下)。
国道22号線を渡り、東へと歩いて行きます。光明寺が途中のゴールで、ここで一旦休憩してバスで帰られる人もいました。光明寺の近くには光明寺城跡があり、織田信長や徳川家康
も立ち寄ったとされています。
また、どんどん東へと歩いていき、円光寺と大野神社にお参り。
ゴールの浅井町石刀神社では、町内の方より神社の説明をしていただきました。この神社の御神体は石刀塚の蓋石で、長さ約6尺幅約4尺の漆黒の巨石だそうです。川祭りも代々続いており、それに使われる山車を今日は特別に見せていただきました。
解散して、河田黒岩バス停から一宮駅に帰りました。
私のHPも見てね。
http://homepage1.nifty.com/MASAE/GAISYUTU/2009ZEN/zennkouzi.htm
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廃線跡の見学が終わって、定光寺駅に戻ってきました。未だ時間が早いので、ついでに
定光寺公園へ行くことにしました。城嶺橋を渡って、東海自然歩道へと入っていきます。ここは、川沿いの道で木々が多く、多少アップダウンがありました。ゆっくり上っていくと広い道に出ます。その正面に正伝池がありました。池には社が建っており、その向こうは公園になっています(写真上)。池の畔のベンチで休憩。
公園では、親子連れが遊んでいました。それを見ながら、池をぐるりと回って道路に出ます。駐車場の向こうに定光寺の参道がありました。ここの石段は165段あるそうです。ゆるやかな階段をゆっくりと上っていきました。石段の脇には小さな石仏もいくつか祀
られていました(写真中)。
山門をくぐり、本堂にお参り。この本堂は1336年に創建され、国の重要文化財に指定されているそうです(写真下)。
その横に源敬公廟があったので、入場料100円を払って、門を入っていきました。この廟は尾張藩祖徳川義直公を祀るために造られたもので、やはり国指定の重要文化財になっているそうです。ゆるやかな石段を上っていくと、まず獅子門がありました。次に龍の門があり、それをくぐると、焼香殿があって、その向こうに唐門があり、その中に源敬公墓があります。唐門には、徳川家の葵の紋章が付いていました。
本堂へ戻り、脇の道から上にある展望台へも行ってみました。緑の林の向こうに山に挟まれた町並みが見渡せます。
帰りは、参道から広い通りを通って、定光寺駅へと戻りました。
私のHPも見てね。http://homepage1.nifty.com/MASAE/GAISYUTU/2009ZEN/aigitonnneru.htm
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5月4日は、定光寺で行なわれていた「旧国鉄中央線の愛岐トンネル群 第3回春の市民公開」に参加してきました。
高蔵寺駅と多治見駅の間の約8kmの廃線跡には、13基のトンネルが現存しており、今回は定光寺駅の近くにある3号トンネルから6号トンネルまでの約1.5kmを歩きました。
最初に先ず3号トンネルに入っていきました。トンネルの壁は赤い煉瓦でできており、中は煤で黒くなっています。トンネルの外は土の道ですが、トンネルの中は瓦礫があって、ちょっと歩きにくくなっていました。中は真っ暗で、遠くに出口がうっすら明るく見えます。持ち物に「懐中電灯」と書かれていたわけです(写真上)。
3号トンネルを出たところは行き止まりになっており、また元の道を戻って、次は4号トンネルへと歩いて行きます。木々が生い茂る道を歩くのは、気持ちがいいです。遠くには山、眼下には庄内川の流れが見えます。途中に竹林があり、この竹を使った橋が架けてありました。
4号トンネルに入ります。ここも3号トンネルと同じような感じでした。そこから少し行ったところの崖に滝があり、竹で作られた水車が回っていました。
次は5号トンネルです。手前に、流れ落ちる水を庄内川に流した暗渠口跡がありました(写真中)。5号トンネルを出たところで、トンネルに使われていた煉瓦の説明がありました。
6号トンネルは今までの中で一番長く333mもありました。さすがに中は暗く、懐中電灯の灯りだけが頼りで、ちょっと怖い感じでした。出口近くで、壁に白布がかけてあって、SLが走っている風景のビデオが写されていました。ボーッという汽笛の音が郷愁を誘います。
6号トンネルを出たところで行き止まり、終了です。広場になっているところの外れで、昼食を食べて休憩。
また、来た道を戻っていきます。帰りは、5号トンネルを出たところで下におりて玉野古道跡を通り(写真下)、また上に戻って4号トンネルを通って、出口へと歩いて行きました。
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さて、もう一つの「大奥」の本。こちらは、2003年6月3日~8月19日まで全11回、フジテレビ系で放送されたドラマをノベライズしたものです。「大奥 第一章」が大奥の始めの物語なら、こちらは大奥の終わりの物語。
物語は、第13代将軍・徳川家定に薩摩藩から篤子が嫁入りしていくところから始まった。篤子の心には、元許婚の東郷克顕がおり、家定に身を任せたくは無いと思っていた。だが、体が弱く暗愚と言われ、かつがれただけの将軍職を、それでも全うしようと思う家定の心情に打たれ、心を通わすようになった。家定が亡くなった後、篤子は天璋院となった。
次の14代家茂の正室となったのが、皇女・和宮である。和宮は決められた公家との婚姻を嫌い、望んで家茂の正室となった。だが、武家と公家との生活様式の違いや家茂の実母・実成院との確執もあり、大奥での暮らしは辛いことが多かった。家茂は体が弱かったが、心根は優しく、和宮のことにも心をくだいていた。だが、長州征伐で命を落とした。
次の15代慶喜は、大政奉還、戊辰戦争と続き、大奥へ来ることもなく、江戸城明け渡しとなった。ここに大奥の歴史も終わった。
こちらにも、大奥での女の争いが描かれているが、「大奥 第一章」に比べると、それ以上に女同士の助け合いや男との心のふれあいが描かれていた。
篤子と家定、和宮と家茂、最初は大奥のしきたりや将軍職のあり方に反発するのだが、将軍といえど不自由な生活の中で懸命に生きていることを知り、心を通わすようになるのだ。
中﨟・初島と歌舞伎役者・生島との恋(絵島事件をモデルにしたもの)や瀧山と僧・柳丈とのふれあい。最後に、町娘で大奥に御奉公に来たまると医者の真之介が結ばれて、新しい生活をするところで物語は終わる。
いつの時代でも、やはり男と女の心のふれあいがあれば、との作者の想いだろうか。
江戸時代から明治へと、外の世界はどんどん変わっていく。だが、大奥の中での女の生活はかなり最後まで、ずーっと変わらずに続いていた。ものすごく贅沢な生活。これが徳川の財政を危うくした一因でもあると、私は思う。
家定は35歳、家茂は21歳で亡くなった。慶喜は77歳と長生きをしたが、これは将軍ではなくなったからかもしれない。
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5月1日は、堀川沿いのウォーキングが終わった後、トヨタ産業技術記念館内のレストランで昼食。その後もう一度ノリタケの森へ戻って、じっくり見学することにしました。
ノリタケの森は、ノリタケ本社敷地内に造られた陶磁器に関する複合施設です。
ノースゲートから中へと入っていくと、初期の頃に使われていた単独窯が置かれていました。
その先が煙突広場で、緑の芝生が広がる向こうに6本の巨大煙突が建っています。今は煙突には蔦が生い茂り、鯉のぼりが泳いでいました。その下には、初期工場の基礎に使用されていた古煉瓦塊を使って作られた窯壁があります(写真上)。ここの芝生広場で、ちょっと休憩。
1904年に建てられた工場の赤レンガ棟へと歩いて行きます(写真中)。この森村・大倉記念館キャンパスでは、新しいセラミックスの世界についての展示がなされていました。入り口にはノリタケが作った”日本初のディナーセット”(写真下)が展示されていいて、その奥には義歯や水の浄化など様々な材料に使われているセラミックスが紹介されていました。
クラフトセンターは入館料500円が必要ですが、一見の価値があります。1、2階では、陶磁器が製造されていく過程を間近に見ることができ、実際に職人が絵を描いたりしているところも見られます。そして、3、4階では、オールドノリタケの素晴らしい製品を見ることができます。明治・大
正・昭和初期の頃に作られ、欧米に輸出された製品の数々。今ではもう見られない装飾的な製品やそのデザイン画などにうっとりしました。
ウェルカムセンターでは、ノリタケの高級製品が売られており、私が普段買うような陶磁器とは1桁違う値段が付いていました。アウトレットショップもあり、そちらは庶民的な値段のものが売られています。カフェもあったので、ソフトクリームを食べて休憩。
最後にノリタの森ギャラリーを見学。こちらは、「書&陶」と「ACT展」を開催していました。
イーストゲートから出て、名古屋駅へと帰りました。
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以前、高遠の絵島囲み屋敷の記事で、”大奥でも有名”と書いたのですが、私は大奥のドラマも映画も見ていません。でも、興味が湧いてきたので、図書館で大奥の本を2冊借りてきました。
この「大奥 第一章」は、2004年10月7日~12月16日まで、全11回フジテレビ系で放映された作品の脚本をもとにノベライズしたものです。いやー、おもしろかった。女の戦いというのもすごいですねー。嫉妬と権力の争い。同じ女でありながら想像もつかない世界ですが、男の影に女ありというのもあって、興味深かったです。
1604年、浪人・稲葉正成の妻ふくは、客を装った夜盗に襲われ、夢中で相手を刺してしまった。そして、その興奮の中で正成の妾・ともえも切り殺してしまった。ともえは、夜盗に殺されたと役所へは届けたが、ふくは正成に離縁された。
ふくは、明智光秀の腹心・斉藤利光の娘だった。父は逆賊として処刑されたが、父に縁があった三条西家にかくまわれて生き延びた。今回もふくは京都行き、家康の乳母を探しているという高札を見て、秀忠の妻・お江与の子、竹千代の乳母となった。
だが、お江与は、ふくに子どもを取られた気がして、ふくが気に入らなかった。次男・国松が生まれると、お江与は国松を自分で育て、世継ぎにしようと図った。
しかし、世継ぎは竹千代に決まり、三代目家光が誕生した。ふくは「大奥総取締」となり、春日局の称号を賜った。ふくは、大奥のきまりをいろいろと作って、大奥の法度を完成させた。家光の婚礼を取り仕切り、妾も用意して、次の世継ぎをつくる算段をしていく・・・・。
ここに書かれているのは、大奥ができていく物語。
女が、子どもを産むための道具としてしか認められなかった頃の物語。男が妻だけでなく妾を持つことも当たり前。女は男の子を産んでこそ、価値がある。
秀忠が恐妻家で、お江与に頭があがらなかったとか、家光がマザコン気味で、お江与とふくの争いを見て育ったために、女嫌いになりつつあったとか、の記述もおもしろかったです。
でも、やはり主題は後半か。正室・孝子の苦悩、側室お万の人を救うためという心情、側室お楽とお夏、おりさの子どもを産むための争い。どろどろとした中に女の哀しみがありました。
好きなように生きられない人生というものは、どんなものなのか。私は、今の世に生まれ、努力をしさえすれば男でも女でも好きな職業に就いて自活することができる社会に生きている。それは、とてもありがたいことだとつくづく思います。
もし、私が大奥にいたとして、生き方としてどれがいいかと思うと、正室の孝子かな。女の争いから”いちぬーけた”ということで中の丸に引っ込んで自分が好きな音曲を楽しむ。寂しいかもしれないけど、争いの中にいるより気楽だろうな。
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堀川沿いのウォーキングの途中、貯木場の近くで桐の花を見つけました。
昨年8月に桐の実を見つけて以来、一度花を見たいと思っていたのですが、偶然見れて良かったです。
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産業遺産のウォーキング大会が5月31日に行なわれるのですが、それに先立って下見があったので、私も一緒に歩かせていただきました。
宮の渡し公園がスタート地点です。ここは東海道唯一の海路・桑名から熱田への船着場があったところで、七里の渡し跡の碑や常夜燈があります。
9時に集合して、今日の参加者の方達と挨拶。コースマップをもらい、準備体操をしました。ウォーキング協会の方を先頭に歩き始めます。
大瀬子橋を渡り、堀川千年プロムナードを歩いて行きます。岸壁にはツツジが咲いており、川を見ながら歩くのは気持ち良いです(写真上)。この道の途中に、1945年6月9日の「熱田空襲」で爆撃を受けた護岸の一部が残されていました。
白鳥貯木場は、1610年に堀川が開削された時に造られた木材置き場でしたが、伊勢湾台風でここにあった木材が流れ出して大きな被害を出したために、その後は使われなくなりました。1989年の世界デザイン博覧会の時にこの白鳥公園が整備され、跡地に白鳥庭園も造られました。
川沿いの道を北へとずーっと歩いて行きます。南北橋の信号の手前には、松重閘門があります。これは、1930年に造られたもので、堀川と中川運河の水位が違うので、閘門で川を仕切って水位を調節して船を船を通すようにした施設です(写真中)。道の両側にありますが、片方は修復中で、今は茶色のシートが被せられていました。
その先にある岩井橋は、リベット工法で造られた橋で、土木遺産に認定されています。橋の下のアーチがきれいです。
納屋橋の近くの喫茶店でお茶休憩。
桜橋を過ぎたところから、四
間道へと入っていきます。ここは江戸時代に防火のために道路幅を四間(約7m)に広げたので、四間道と呼ばれています。以前は、道路の東側に土蔵、西側に町屋が立ち並んでおり、今でもその名残が残っています(写真下)。狭い路地を入っていくと屋根神様が祀られている家や子守地蔵尊がありました。
円頓寺商店街を通って、ノリタケ森へ。ここは1994年に造られたノリタケの赤レンガの工場の建物が今も残っています。イーストゲートから入り、敷地内をぐるっと回ってノースゲートへ。
その向こうにトヨタ産業技術館があります。ここもトヨタ創業の地で、大正時代の赤レンガ造りの工場がそのまま残されています。ここが、ウォーキングのゴール地点です。
私のHPも見てね。
http://homepage1.nifty.com/MASAE/GAISYUTU/2009ZEN/horikawa.htm
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