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2009年7月31日 (金)

上海雑技団

 バスに乗って上海へと戻っていきます。
Syannhai212  18時、夕食のレストラン着。今回は船のレストランで、岸にしっかり繋いでありますが、床は少し傾いたり揺れたりしていました。海鮮料理で、魚や海老などが出ました。
 この後は、オプションで上海雑技団の観賞があります。私は、もちろん申し込みました。バスは、雑技団へ行く人とホテルへ帰る人に分かれて乗りました。

 19時30分、雑技団の会場へ。さすが、本場の演技はすごかったです。オープニング、皿回しやこまのような物を回すのから、椅子を積んで高い所へ登るもの、手品、バイクで小さな球を回るのなど盛りだくさんの内容でした。
 席は、ちょっと横の方でしたが、ビデオも撮ったので、少しですが見てください。

 21時10分頃に終わり、バスに乗ってホテルへ帰りました。明日は移動なので荷物を整理して、シャワーを浴びて(バスタブは不安なので、止め)、寝ました。

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2009年7月30日 (木)

刺繍研究所と山塘街

 12時10分、寒山寺の近くにあるレストランで昼食。蘇州料理は、あっさり味で美味しかったです。
Syannhai210  レストランは2階にあり、1階がシルク工場になっていました。先ずは工場見学です。
 以前グンゼ記念館に見学に行った時に見たのと同じような、繭から生糸を採る大きな機械が動いていました。実際にこういう機械が動いているのを見るのは、初めてです。いくつかの蚕蛾の繭から細い糸が出て、それが巻かれていくのがよく分かりました(写真上)。
 また、くず繭からは真綿をつくっており、それを大きく伸ばして何枚も重ねた真綿布団が作られていました。日本で買うよりうーんと安い値段でシルクの布団が売られており、他にもシルクのハンカチやスカーフなどの小物もたくさん売られていました。

Syannhai29  次は刺繍研究所へ、14時40分着。
 入り口を入ると、素晴らしい刺繍の数々が並んでいます。仏像やダイアナ妃を描いた刺繍は、まるで写真のようです。とても刺繍とは思えないほど繊細で色もきれいでした(写真中)。
 奥には、表と裏が別々の絵になっている刺繍もあり、その技術の高さには目を見張ります。ベトナムでも中国風の刺繍は見ましたが、格段にこちらの方が素晴らしかったです。

Syannhai211  バスに乗って山塘街へ、15時40分着。
 ここは、山塘河に沿った商店街で、明清代には蘇州一の繁華街に発展していました。近年観光街として再開発され、清代の建築群が整備されています。
 街に入っていくと、運河沿いに赤い提灯が飾られた建物が並んでおり、中国の古い町並みという風情があります。運河遊覧の船も何艘か浮かんでいました(写真下)。
 ここは、観光客相手の土産物店だけでなく、八百屋や肉屋など普通の店も多数並んでいました。八百屋では、スイカ1個 1.1元(約15円)、ブドウ1袋 2.5元(約35円)で売られていました。また肉屋では、生きた鶏や鶉が売られており、隣でそれをさばいていました。食用蛙らしいのも売られており、皮をはがれた肉片も器の中にありました。また、薬屋やスーパーもありました。

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2009年7月28日 (火)

留園と寒山寺

 2日目は、蘇州市内観光です。
 6時、モーニング・コール。出発まで時間があったので、朝食へ行くついでにホテルの周りを少し歩き回ってきました。
Syannhai23 朝食はバイキングで、白米の他に麺や粥、パンなどもあり、おかずもいろいろと揃っていました。
 7時45分、ロビー集合。8時、バスに乗って、出発。
 9時30分、サービスエリアのようなところで、トイレ休憩。
 10時20分、留園着。ここは、中国四大名園の一つで、明代に築かれた東園が始まりだそうです。清代に劉恕の所有となったことから劉園、後に留園と呼ばれるようになりました。
 入り口を入ると、最初に建物があり、内部には昔の絵や書の掛け軸などが展示されていました。また、歴代名Syannhai26士の書碑を集めた留園法帖も回廊に飾られており、凝った造りの窓(漏窓)も素晴らしかったです。
 庭へ出ると、大きな池があり、蓮や睡蓮が咲いていました。その周りには岩で造られた築山があり、木々の間を巡って歩くことができるようになっていました。この眺めもステキでした(写真上)。

 10時50分、バスに乗り、11時10分、寒山寺着。ここは、「月落ち烏啼いて・・・」と詠った張継の詩で有名な古刹です。
 入り口のお寺に入ると、金色の仏像が正面に1体、周りに4体祀られていました。その奥に本殿(写真中)があり、こちらは正面に大きな仏様、回りに小さな仏像が多数祀らSyannhai25れていました。
 本殿の横に鐘楼があり、5元で鐘をつけるようになっています。ガイドさんが、「この鐘を一突きすると10歳若返る、但し3回までしか突いてはいけない。」と説明されたので、私も5元払って、鐘を3回突いてきました。ちょっとは若返ったかな~。
 奥には、三重の塔がありました。中に入ると、中央に4体の仏像が丸く並んでおり、その周りを歩いて階段を上っていけるようになっていました。3階からの眺めはとてもよく、風も通って涼しかったです。
 最後に、出口の手前に復元された張継の詩碑がありました(写真下)。

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2009年7月27日 (月)

一宮七夕まつり

 一宮市では、7月23日~26日に、真清田神社から本町通り・一宮駅付近で七夕まつりが行なわれています。
 私は昨日一宮駅に行く用事があったので、ついでに見てきました。

09tanabata1  真清田神社の本殿もいつもと違って、きれいな七夕飾りが付けられています。境内には、多数の屋台が出ており、お化け屋敷もありました。参道にも大きな七夕飾りが置かれていました。
 本町商店街のアーケードは、七夕飾りの吹流しがいっぱい。最近は商店街もシャッターを下ろした店が多く、不況で寄付も集まりにくくなっており、飾り物も少なくなっています。そこで、アーケードの一部には、小中学校の子供たちの作品が多数飾られていました。願い事が書かれているのもあって、微笑ましいです。
 それでもやはり、恒例の仕掛け物アーチがいくつか作られており、彩を添えていました。
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2009年7月26日 (日)

外灘の夜景観賞とホテル

 16時、バスに乗って、上海の中心部へ。
 17時、上海の総合店にて、ショッピング。ここは、旅行社ご用達・観光客専用の店らしく、値段は高め。1階は、石やSyannhai12玉の彫刻が並んでおり、素晴らしい製品がいっぱい。2階はスーベニールやお菓子類で、お土産用。
 17時45分、バスに乗って夕食のレストランへ。
 18時30分着、広東料理。
 この後、オプショナルで黄浦ナイトクルーズがあったのですが、朝早くて眠いので私はパス。ホテルへ直接戻るグループのバスに乗りました。
 20時、外灘着。ホテル直行グループは、ここで橋の辺りを少し歩いて、夜景観賞。川岸からは、上海の有名高層建築物の東方明珠塔やホテル、森ビルなどが立ち並んでいました(写真上)。

Syannhai21  21時、蘭生大酒店(ホテル)着。(写真中・翌朝撮影)ゆっくり休む予定だったのですが、大変な事態に・・・・。
 部屋(写真下)に入って、荷物を出して、明日の用意。バスタブに湯を満たして、風呂に入る・・・そこまでは良かったのですが、風呂の水を抜こうと思ったら、栓が上がってこない。レバーを何度回してもダメ。隙間に手をかけてみたのですが、水圧もかかっているせいか、栓はびくともしません。さあ、どうしよう。修理の人を呼ばなきゃいけないけど、先ず服を着なくちゃ。
 幸い、このホテルはバスタブとは別にシャワー室があります。シャワー室へ行って、体を洗って、髪も洗って。ドライヤーも付いていたので髪を乾かし、寝巻き代わりに持ってきたルームウェアを着て。
 Syannhai22時計を見ると、幸い22時少し前。このホテルは、阪急の旅行者がたくさん泊まっているので、22時までは日本語のツァーデスクが開いています。早速電話して、修理の人を呼んでもらいました。
 10分程待つと、修理の方が”スッポン”を持って現れました。それでバスタブの栓のところをズボズボと。1回目ダメ。2回目ダメ。3回目、スッポーンと音がして栓が抜け、湯がゴゴーと排水溝に吸い込まれていきました。おお、良かった。その後、修理の方が栓を調整してきちんと動くようにしてくださいました。
 これで、やっと寝れます。上海旅行1日目が終わりました。

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2009年7月25日 (土)

朱家角

 13時40分、バスに乗って朱家角へ。
Syannhai19  14時30分、駐車場着。駐車場の近くにある雑貨店(コンビニのような店)で、飲み物などを買い、トイレを借りる。ペットボトルの水 1.5元、アイスクリーム 2.5元(写真上は、雑貨店の店内)。
 朱家角は、大小の運河に沿って、明代以降の町並みが残されている地域です。水運と商業で栄えた歴史をもち、1571年築という全長70mの放生橋をはじめ、古色蒼然たる橋が36ヶ所も残っているそうです。

 私達は、ガイドさんの後について、放生橋(写真中)へと歩Syannhai110いてきま した。ここで、運河遊覧の船に乗るのですが、観光客がいっぱいで船は順番待ち。そこで、先に30分間自由行動ということで、運河沿いにある土産物店を見て歩くことになりました。
 ここには、小さな土産物店がたくさん並んでいます(写真下)。値段は交渉次第ですが、安い。かわいい袋物があったので値段を聞いたら、一つ10元(150円くらい)と言うので、2つで15元なら買うと言ったら、即OKになった。きっと地元の人はもっと安く買っているのだろうな。
 その近辺をぐるっと見て回って、15時20分にまた橋のところへ戻ってきました。
 6人1組で、小船に乗ります。船は広い水路から狭い水Syannhai111 路へと入っていき、水路沿いにある家やそこを歩く人々を見ていきました。橋を3つほど過ぎたところで向きを変え、また元の所へと戻っていきました。

朱家角の運河遊覧のビデオも見てね。

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2009年7月24日 (金)

上海へ

 7月19日
 朝、4時起床。眠い。朝が弱い私には、とてもつらい。ともかく起きて着替え、タクシーが来るのを待つ。
 タクシーに乗って最寄駅へ行き、始発の中部国際空港行きの電車に乗る。集合は7時10分なので、ほんとうはもう1本遅い電車でも間に合うのだけど、もしもの場合もあるので、1本早めのに乗ることにした。電車の中でパンとお茶の朝食。
 Syannhai116時12分、中部国際空港着。
 6時40分、添乗員さんに会い、Eチケットと保険証をもらい、説明を聞く。JALに荷物を預ける。
 7時20分にカードラウンジが開いたので、中でコーヒーを飲んで休憩。
 7時50分、セキュリティーを通って、出国ロビーへ。
 8時50分~ 搭乗。
 9時15分、中部国際空港発。JALの飛行機は最新の機体で、座席の後ろにある画面でビデオを見たり、ゲームをしたりすることができる。ビデオで、「モンスターVSエイリアン」を見た。
 10時頃、軽食(写真上)。
 10時35分(ー1時間・日本時間 11時35分) 、上海空港着。

Syannhai12  荷物を受け取り、空港にて両替。1万円=624元。
 今回、同じ日本航空の飛行機で来たツァーメンバーは2台のバスに分かれました。私達のグループは総勢29名。バス1台に、添乗員一人と中国人ガイド一人が付きます。やはり夏休みということで家族連れも多く、子連れが4組で計14名、兄弟1組、姉妹1組、親子1組、夫婦2組、一人参加は男2と女3人(私を含む)でした。
 11時40分、バスに乗る。車窓から見た上海は、高層ビルが立ち並んでいました(写真中)。

 12時35分、レストラン着。上海料理の昼食。中国の料理は味が濃く、私にとってはちょっと辛めでした(写真下)。
Syannhai13Syannhai14Syannhai15

Syannhai16Syannhai17Syannhai18_2     

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2009年7月23日 (木)

帰ってきました & 通院日

 昨夜遅く上海から帰って来ました。19・20・21日といい天気だったのに、22日だけ雨。肝心の日食は、最初ちらっと始まりが見えただけで終わりました。でも、上海観光は楽しめたので、まあいいかと。
 ナナちゃんも元気です。ペットホテルから戻ってきて、私の横で寝ていたかと思うと、庭へ出て蝉を捕まえてきました。

 今日は、通院日。午前中は、病院へ行ってきました。
 肝機能は、許容範囲です。
         6月11日    7月23日
AST        32        39  (基準値 13~33)   
ALT        20        23  (基準値  6~27)
γーGDP     38        48  (基準値 10~47)

 多少数値は上がっていますが、肝臓は自力でなんとかやっているようです。薬無しでもいけそうです。
 先日のMRIの結果は、「変化無し」でした。なかなか腫瘍が小さくなるというところまではいかないようですが、普通に生活できているので、OKです。

 腫瘍マーカーも、少しずつ下がっています。
         2月5日    3月19日  4月30日   6月11日    7月23日
CA15-3   32100    26180   18500    15440     15310
BCA225   200000   180000  190000   100000

 この調子で、美味しいものを食べて、好きなことをやって、だらだらと生きていけたらいいかなー。

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2009年7月18日 (土)

上海へ

 明日から22日まで、3泊4日で上海へ行ってきます。
097nana21  目的は、皆既日食の観察です。上海は、日本の離島と同じくらいの緯度にあり、日食が5分以上見られるそうです。22日当日は、上海の近郊にある学校を貸しきってあり、広い校庭でじっくり観測できるようです。観測用に「日食グラス」も買いました(写真上)。
 私は中国は初めてなので、ついでに上海観光ができるのも楽しみです。問題は当日の天気、晴れることを願っています。
 旅行の行程表はこちら。
http://homepage1.nifty.com/MASAE/KIKYOU/SYANNHAI/syannhai.htm

Tesuto1  ナナちゃんは、ペットホテルへ預けました。
 ナナちゃん、我が家に来て餌の心配が無くなったと思ったら、手術はされるし、ホテルへ預けられるし。初めての経験ばかりで、ビックリしてるかな。
 旅行好きの私のところへ来たのだから、あきらめてね。今後もあると思うから、ペットホテルにも慣れて、可愛がられてね。
 草ぼうぼうの庭で遊んでいる、ナナちゃん。

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2009年7月17日 (金)

ハリーポッターと謎のプリンス

 昨日は、映画「ハリーポッターと謎のプリンス」を見てきました。これは以前、本で読んだことがあります。
http://rinnrinn.cocolog-nifty.com/kimagure/2008/04/post_fe8f.html
 その時も感じたのですが、やはり以前のハリーポッターシリーズに比べると、面白さが欠けるなーっと。最近テレビで、「ハリーポッターと賢者の石」「ハリーポッターとアズガバンの囚人」の2本を見ました。これは以前にも見たことがあり、2度目か3度目なのですが、それでもこちらの方が面白かった気がします。
 やはり新しい魔法や不思議な生き物とかが出てこないのが、つまらない原因かなー?。目新しさが無いのです。

 ハリーは、魔法薬学で以前の在校生が使っていた古い教科書を使うことになった。その教科書には多くの書き込みがあり、その通りにすると、魔法薬がきれいに出来上がるのだった。そのおかげで、スラグホーン先生から幸運の薬をもらうことができ、先生のお気に入りの一人になることもできた。
 ダンブルドア校長は、ヴォルデモート卿を倒すために、ヴォルデモートが未だトムリドルと名乗っていた頃のことを探っていた。トムリドルは、ホグワーツに在籍し、スラグホーン先生のお気に入りだったのだ。彼は、スラグホーン先生から、魂を分割させる方法を聞きだした。
 ヴォルデモートの魂の分霊箱を探して、ダンブルドアとハリーは旅立つ。だが、見つけた分霊箱は・・・・。

 この映画の一番の見所は、分霊箱を求めて行った、地底の湖。そこのおどろしいイメージや泉の水、ゾンビの群れ、とてもビジュアルでドキドキする映像になっていた。そういう意味では、この本は映画に向いていると思う。説明するより映像で見せた方が分かりやすい。
 クィデッチの試合も本で読んだ時は分かりにくかったのですが、映像を見てなるほどーと思ったし(私の想像力が貧困なのかも)。
 今回は、成長したハリー達。ハーマイオニーとロンの恋、ハリーとジニーの仲。そういったものが物語りに味付けをしている。
 さて、来年は最終章ですが、どうかなー?。実は未だ本を読んでいないので、内容は分からないのです。

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2009年7月16日 (木)

岐阜街道

 7月12日は、一宮歩こう会主催の街道シリーズ3回目・岐阜街道を歩いてきました。
 岐阜街道は、長良川で獲れた鮎を塩・酢に漬け腹に飯を詰めた鮎鮨を江戸に運ぶ道として有名で、別名鮎鮨街道とも呼ばれていました。

Gihukaidou1  9時、一宮テニス場集合。出発式があり、挨拶とコース説明、準備体操をしました。
 踏み切りを渡り、岐阜街道へと入って行きます。道沿いに、「善光寺如来 葉栗郡出張所」と書かれたお寺がありました。御分身が奉安されているそうです。その向かいにある河野善龍寺は、明治11年10月に明治天皇が東海北陸を御巡幸なされた折に御小休所となったところです。

 東海道線木曽川駅の横にある児童公園で休憩。ここには、「正岡子規の見染塚」があります(写真上)。明治24年の夏に、正岡子規が木曽川停車場から汽車に乗ろうとして駅前の茶屋で休憩をしていた時に、その茶屋にいた娘を忘れられないと「旅」の中に書いGihukaidou3ていたことから、この記念碑が造られました。
 JR東海道線の旧木曽川駅は、明治25年に建てられたものでしたが、今はその頃の柱の一部だけが、駅構内に保存展示されています。大正元年に建てられた駅倉庫は、保線用の油を保存していたのですが、場所を移動して今もそのままの形で残っています(写真中)。

 踏み切りを渡り、北方町へと入っていきます。木曽川の堤防へ出る少し手前の道の角に、古い道標が残っていました。その横に岐阜街道と書かれた石碑と「宝江の渡し跡」の説明板がありました(Gihukaidou2写真下)。
 宝江の渡しは、慶長5年(1600年)8月関が原の戦いの前に岐阜城攻めをした折、北方の高橋・広瀬両名が渡し守として活躍したことから始まります。慶長12年には、岐阜街道が改修され、この地から対岸への渡船が官道となりました。また、明治11年の明治天皇後巡幸の折には、65隻の船を繋いだ舟橋が造られましたが、翌年焼失しました。この渡し場は、明治43年(1910年)に木曽川橋ができるまで利用されたそうです。
 木曽川の堤防沿いを歩いて、名鉄木曽川堤駅から電車に乗って帰りました。

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2009年7月15日 (水)

ノウイング

 映画「ノウイング」を見てきました。予告編がいかにもSF的だったので、期待して行ったのですが、イマイチでした。

 ジョンの息子ケイレブが通う小学校で記念式典があり、50年前に埋められたタイムカプセルが掘り出された。そこに入っていたのは、50年前の小学生が描いた絵。だが、ケイレブがもらってきた封筒に入っていた紙には、数字の羅列が書かれていただけだった。
 その数字を書いたのは、ルシンダという子供。彼女は、記念のタイムカプセルを埋めるという案を出したのだった。
 数列を見たジョンは、その数字から日付と人数を見出した。パソコンで調べたら、それは過去50年に起きた惨害と一致していた。そしてある日、ジョンは飛行機事故を目撃する。それは、ちょうど数列の中にあった数字と一致していた。その後の、地下鉄事故も。
 ジョンは、ルシンダの家を探し出し、ルシンダの娘ダイアナと孫アビーと知り合いになる。ダイアナと共にルシンダが亡くなった家へ行き、ジョンが見つけたものは・・・。

 うーん、予言というものは昔から存在し、預言者=神に近い人 という扱いを受けてきたこともある。私も若い頃、ノストラダムスの大予言などという本を買って、1999年を恐怖したこともあった。
 だが、災害だけの予言というものに、何か意味があるのだろうか?。人類が滅ぶ時、自分だけが生きていたいと思うのだろうか。私はそんなのは嫌だ。だったら、災害の予言など知らないほうがいい。その方が最後まで楽しく暮らせるというものだ。
 予言を知ったジョンもケレイブと共に逃げようとするのだが・・・。

 この映画に出てきた地球の滅び方は、今までに無い新機軸だけど、あの終わり方は納得がいかないなー。あれでは救いが無いと思う。やはり、地球に、人類に、全ての生物に希望が欲しい。

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2009年7月14日 (火)

覇者と覇者

 打海文三の「覇者と覇者 歓喜、慙愧、紙吹雪」を読みました。「愚者と愚者」に続く三部作の最終章です。

 「黒い旅団」は内部崩壊し、消滅した。常陸軍は「我らの祖国」と大きな戦闘をし、首都は瓦礫の山となった。東京からは、大勢の避難民が奥州や北海道へ逃げ出したが、奥州も北海道も州境を封鎖した。行き場の無い難民達は、茨城県などの近県に逃げ込んだり、また首都へと舞い戻ったりした。
 しかし、軍閥の勢力が減ったことから和平の機運が生まれ、北海道軍はアメリカ資本と手を組んで、本州の平和調停へと乗り出した。北海道軍は、アメリカの軍事企業から最新式の兵器を買い、古い兵器を常陸軍に供与した。常陸軍はその兵器で我らの祖国と戦い、勝利を収め、首都につかの間の平和が訪れた。
 北海道軍は、平和維持軍として首都に進攻した。軍は解体され、兵士の大部分は国軍と警察隊に入っていった。だが、平和維持軍へのテロは続く。真に平和な世界が来るには、未だ未だ時間がかかる・・・・。

 この本は未完である。作者の打海文三が2007年10月に死去したため、続きが書かれることは無い。
 だが、恐らくこの小説の続きは、少しずつテロや暴動を克服して、国を復興させていく話になるのだろう。いや、なって欲しいと思う。内乱を経験したが故に、二度とそういう事態に陥らない国づくりをして欲しい。

 この本の下・2章<記憶と未来>では、戦争犯罪の告発がなされている。戦争の記憶は忘れてはならない。それは記録され、きちんと処理されなければ、未来へは繋がらない。戦争犯罪は、日本の各軍閥の将軍達とアメリカ軍。最初にあったアメリカの無差別爆撃が日本の荒廃をもたらした。そして、それに乗じて住民を圧殺し、利権を貪った将軍達。彼らの犯罪は裁かれなければならない。

 私は、日本の戦後を思った。戦争犯罪は裁かれていない。東京裁判はあったが、あれは戦勝国が行なった裁判であり、日本国民は蚊帳の外だった。本当に必要なのは、日本国民による裁判。なぜ、日本は戦争の道を歩んだのか?。
 その反省がなされていないところの未来は危うい。日本国憲法には第九条があるが、私達はそれを守り抜く気概を持ってはいない。そして、アメリカに対しても。
 戦争犯罪とは何なのか。それを見つめることは、辛いが必要なことだと思う。

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2009年7月13日 (月)

大腸カメラ

 7月6日に大腸カメラの検査を受けました。これが、なかなか大変。
097mono2  先ず前日から食事制限があります。消化の悪いものは食べてはいけません。これがなんと、野菜・果物・海藻類・キノコ類・乳製品・肉類など全部ダメ。食べるものが無い。主食も白米かおかゆ、またはうどん。

 我が家は今、玄米を食べているので、白米は買ってありません。たった1、2食のために買うのもなーと思って、ふと思いつきました。そうだ!、保存食のご飯を試食してみよう。だいぶ前に買った保存食があります。未だ役に立ってはいない(立たないほうがいい)ので、食べたことがありません。この際、一度試食するのもいいかも。
097mono3  という訳で、上の写真にある保存食の袋にお湯を入れ、待つこと15分。下の茶碗2杯分のご飯ができました。味は、まあ普通かな。米の形が崩れているけど、食べられないことは無い。非常食になら十分です。
 朝食は、この白米と具無しのインスタント味噌汁、冷奴。
 昼食は、そうめんと炒り卵。
 夕食は、白米と魚のホイル焼。そして、夜に下剤。

 6日当日は絶食。朝7時に下剤。8時から下剤を溶かした水を30分で1リットル、1時間でまた1リットル飲む。そして、出るものが全部出て、水しか出てこない状態になったらOK。15時から病院で検査です。
 お尻から管を入れるのですが、空気も入るので、腸がごろごろして気持ち悪い。画面に映った画像もちらっと見て。腸内にポリープはありませんでしたが、赤く充血しているところがあったので、そこの皮膚を少し取って、約30分で終了。10,500円也。

 今日、結果を聞いてきました。
 赤いところはやはり炎症を起こしていたらしく、そこが治りつつあったところのようです。炎症の原因は不明ですが、普通の腸炎で特別悪いものでは無いということでした。
 今は何とも無いので、まあいいのかな。一件落着です。
 午後からは、MRIもあったので、病院にいる1日になりました。

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2009年7月12日 (日)

森川花はす田

 昨日は、愛知県愛西市立田にある「森川花はす田」に行ってきました。
Morihasu1  久しぶりの梅雨の晴れ間、いい天気の土曜日ということで、人がいっぱい、車もいっぱい。 私も田圃道に路上駐車をして、蓮の花を見せていただきました。
 ここは、5種類の蓮の花が咲いています。田圃に蓮の名前が書いてあったのですが、どうも種類が混じっているらしく、どれがどれかよく分かりませんでした。なので違うかもしれませんが、説明からいくと、上右が陽山紅蓮、上左がミセススローカム、下左が白茶碗蓮、下右が早尾紅蓮らしいです。もう一つ、立田紅蓮があるのですが、よく分かりませんでした。 

Morihasu3Morihasu2

Morihasu5Morihasu6   

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2009年7月11日 (土)

THE X FILES

 SFミステリーといえば、やはりこれ!、「THE X FILES」。ディズニーのようなお子様向けではなく、ちゃんとした大人のマニア向け。あの始まりのメロディーを聞くだけで、わくわくしてきてしまう。

097mono1  本屋へ行ったら、「THE X FILES」のDVDコレクションを売っていました。最近、こういうの流行っていますね。落語から鉱物のコレクションまで、いろいろありました。値段は、初巻だけメチャ安で、2巻目からは通常。今回も創刊号は490円だったので、試しに買ってみました。 これは、テレビシリーズをまとめた物で、一話が45分。4話入っていて、180分です。
 序章を見て、改めて感じました。モルダーとスカリーが若い!。長く続いているシリーズなんですねー。9シーズン、全200話ぐらいあるようです。

 ○ 序章
 森の中で若者が次々と死んでいく。遺体からは原因不明の斑点と未知の有機物質が発見された。なぜか、昏睡状態のビリーの足には、森の土が・・・。
 ○ ディープ・スロート
 空軍のパイロットが精神異常をきたした。彼が勤務している基地周辺では、謎の飛行物体が見られるという・・・。
 ○ スクィーズ
 完全な密室殺人。しかも死体は全て肝臓がえぐり出されていた。そして、なぜかそこにあった指紋は、30年前に起きた事件と同じものだった・・・。
 ○ 導管
 UFO目撃地で、少女が行方不明になった。そして、弟は何も映っていないテレビから信号を受け、数字を書き散らしていた。その数字が表わすものは・・・・。

 3話のスクィーズ以外は、全部UFOがらみの作品。やはり X-FILES = UFO です。最近の映画では、以前のUFOがらみの部分は無くなっていたけど、やっぱりこの作品の魅力は、UFOと宇宙人。彼らは、昔からこの地球を見張っているってね。

 もう、第3号まで売り出されてはいるのですが、値段は1790円。全部で50号まであると思うと、全部見るのはちょっとなー、という訳で未だ買ってないのですが。

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2009年7月10日 (金)

ウィッチマウンテン

 先日、映画「ウィッチマウンテン -地図から消された山ー」を見ました。
 宣伝では、”世界が震撼した脅威のミステリー”とか、”宇宙の謎を巡る驚くべきシーン”とか書いてあったので、かなりマニアックな内容を期待していたのですが、その辺は期待外れ。宇宙の謎、どこがー?という感じでした。
 しかし、一般受けする楽しい内容で、お決まりのハッピーエンドもあり、やはりディズニー映画、見て良かったなーと思いました。

 タクシー運転手のジャックは、非凡なドライヴィングテクニックの持ち主。以前は、マフィアの運び屋だったが、刑務所から出所してからは、まじめに働いている。
 セスとサラの兄妹が、ジャクのタクシーに乗ってきたことから、騒ぎは始まった。二人はすごい大金を持っており、ある場所に連れて行ってくれたら、そのお金を払うというのだ。ところが、二人を乗せたタクシーには、追っ手が現れた。
 追っ手をまいて着いた先は、一軒の古い山荘。だが、その地下には驚くべき装置が隠されていた。装置を手に入れた兄妹は、敵のロボットに追いかけられる。2人を乗せたジャックはラスベガスへ戻り、UFOマニアのフリードマン博士やハーラン博士の手助けを得て、ウィッチマウンテンへ出かけて行く。そこには、2人を乗せてきた宇宙船が隠されているのだ。
 果たして、セスとサラは宇宙船に乗って母星へ戻ることができるのだろうか?。

 「この映画で観たものは、決して語ってはならない・・・。」と書いてありましたが、しっかり語ってしまおう。
 私が一番気に入ったのは、ラスベガスのUFOマニアの集会。いやー、あんなことアメリカではやっているんですね。ずーっと以前、SF大会というのが日本にもあって、SFマニアが集まって、SF小説の内容や主人公の衣装、道具などについて語り明かしたり、実際に作ってみたりとかやっていました。今回もスターウォーズに出てくるキャラクターの衣装を着た人達がいたり、SF劇をやっていたり、UFOに実際に乗ったという体験談を語ったり。いや、とっても楽しそう。しかも場所はラスベガス。あんな催しがあるのなら、私も行ってみたいものだ。(映画の本質と完全にずれてます)
 セスとサラの宇宙人も、超能力を持っている以外は普通の人間で、かわいい。最後のエンディングの片隅に映る映像も、いいおまけですよ。

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2009年7月 9日 (木)

安土ハイキング(3)

 さて、安土城跡を降りてきてからも、ハイキングは続きます。距離的には未だ半分くらいしか歩いていません。ですが、後は平地で、見るべきところも少ないです。

Aduti8  下の道を少し行ったところに、また安土城址の石碑があり、石段もありました。以前はこちらからも上れたのだそうですが、今は通行禁止になっています。その隣にも小さなお寺があったので、お参り。

 田圃道の中に、セミナリヨ跡がありました(写真上)。かってここにはセミナリヨ(カトリック小神学校)があったのですが、今は小さな公園になっています。ここのベンチで小休止。暑い~。
 朝鮮人街道と書かれた道標のある道を通っていきます。
 常浜水辺公園は、池の周りにベンチが置いてあり、休憩をしている人が何人かいました。

Aduti5  JRの踏切を通って常厳院へ(写真中)。このお寺は、1578年に織田信長によって建てられた浄土宗の寺です。大きなお寺で、本堂を始め7つの文化財を所有しています。鐘楼を見て、本堂にお参りしました。
 紗紗貴神社は、近江源氏佐佐木氏の氏神です。茅葺の門と大きく立派な本堂がありました。ここもお参り。

 安土駅の南側には、安土町城郭資料館がありました。入場料150円。中には、安土城のひな型と安土城南蛮屏風の陶板壁画が展示されていました。壁画は色鮮やかできれいでした(写真下左)。
 14時50分、地下道を通って安土駅へ行き、電車に乗りました。
 おまけ、写真下右は安土駅前にあった信長公の像。ちょっと逆光だったので、顔がはっきりしていません。
Aduti9Aduti10 

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2009年7月 8日 (水)

安土ハイキング(2)

 さて、レプリカを見た後は、当然本物の安土城へ。これがなかなか大変でした。

Aduti3  JRのトンネルの上を通る道を歩いて、安土城跡へ。ここは、ほとんどが總見寺の所有地となっており、入り口で入場料500円を払って入りました。
 安土城は、標高199mの安土山の上に建っていました。1576年に築城が始まり、その3年後に天主が完成して信長が移り住みました。その3年後、本能寺の変があって信長は殺され、城は明智光秀の手に渡りましたが、光秀が秀吉に攻め滅ぼされたすぐ後に、天主・本丸は焼失しました。
 入り口からすぐに石段が続いています。石段は、約400段。たった199mの高さの山なのでたいしたことないだろうと思っていたのですが、これがなかなか大変。石段の大きさは不揃いで、一段一段が高い(写真上)。30度を越す暑さの中、ズボンやシャツが汗で肌に張り付きます。
Aduti7  前田利家邸跡や羽柴秀吉邸の跡、總見寺仮本堂を横目で見ながら、せっせと登って行きました。黒金門跡からは、石垣が残っています。仏足石もあり、石垣に使われていたらしいと説明板に書かれていました。
 二の丸跡には、石垣に囲まれた織田信長公本廟がありました。この廟は、羽柴秀吉が信長の遺品を埋葬して造ったものです。
 本丸跡を通って、天主跡へ。ここには、多数の礎石が今もそのままに残っており、往時の建物を思い起こさせます(写真中)。天主跡の周りにある石垣の上に上って休憩。こAduti4こからは、安土の町や遠くの山、そして琵琶湖が見渡せました。絶景です。信長もこの景色を見ていたのでしょうね。
 帰りは、織田信雄四代供養塔を見て、黒金門から三重の塔がある方へと下りて行きました。こちらには、1854年に焼失した總見寺本堂跡と三重の塔があります。ここからの眺めもまた見事です。山に囲まれて西の湖がくっきりと映えていました(写真下)。
 仁王門を通って、元の道へと下りて行きました。

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2009年7月 7日 (火)

安土ハイキング(1)

 ちょっと前ですが、6月28日にJRのさわやかウォーキング「東海道線全通120周年記念 織田信長公の夢を訪ねて」に参加してきました。

Aduti6  10時10分、安土駅着。安土駅前には、織田信長の大きな像が建っていました。
 地下道を通った所にある駅南広場で、ハイキングマップやちらし、東海道線全通120周年記念のバッジなどをもらいました。
 田圃の向こうに塔がついた洒落た建物が見えてきました。そこが安土町・文芸の里で、総合体育館・多目的ホールの「あづちマリエート」、「信長の館」、「安土城考古博物館」などがあります(写真上)。
 Aduti1テニス場、野球場の前を通って、先ずは信長の館へ(入場料400円)。中へ入ると、正面にデンと建っているのが金ぴかの安土城。これは、1992年にスペイン・セビリア万博日本館のメイン展示として造られた安土城天主の5階・6階部分を、万博終了後に安土町が譲り受けたものです(写真中)。安土城がやっと入る大きさに信長の館が建っているの、全体写真を撮るのは無理でしたが、階段が付いているので内部の襖絵などを見ることができました。
 安土城の周りには、光秀が徳川家康を供応した料理の数々が復元されて並んでいました。また、織田信長の行列の紙人形も展示してあり、細かい細工が見事でした。
 
Aduti2  安土夢街道と名付けられた土産物店の横には、旧柳原学校校舎がありました。この建物は、明治九年に初等科小学校校舎として建てられたもので、現存する県下の学校としては最も古いものだそうです(写真下)。中は板敷きで、昔の写真やその頃の教科書などが展示されていました。

 その向こうに安土城考古博物館があります。ここの第1常設展示室は、弥生・古墳時代の出土品がいっぱい。土器類や石器類だけでなく、銅鐸や銅鏡も多数ありました。また、第2常設展示室には、安土城と信長に関する資料がいろいろ展示されていました。
 ここの中庭で昼食。

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2009年7月 6日 (月)

愚者と愚者(下)

 打海文三著、「愚者と愚者(下) ジェンダー・ファッカー・シスターズ」読みました。内乱は、未だ未だ続いています。

 海人の戦友、孤児部隊で共に戦った田崎俊哉は、今常陸市駐屯軍の司令官になっていた。彼は、ゲイだった。そして、黒い旅団の呼びかけに応じ、部隊と共に常陸軍から離脱するところだった。反対したのは、一中隊のみ。海人は、その中隊を助け、俊哉と戦って駐屯軍を取り戻すため、常陸市へ進撃した。作戦は、成功した。だが、海人の部隊は首都へ戻れなくなり、首都圏の常陸軍は支配地域を限定せざるをえなかった。
 東京は、パンプキンガールズ・常陸軍・高麗幇・虹の旗・ゲイ解放軍・市民軍・鉄兜団に対し、黒い旅団・社会正義党・我らの祖国・東京UF・ポセイドンが群雄割拠しており、市街戦が絶えなかった。
 北海道は、内戦の影響が無く、企業は北海道に逃れ繁栄していた。東北も軍事政権が支配していたが、いちおうの平和が訪れていた。だが、東京以西は、内乱状態。
 果たして日本全土に平和が訪れる日はくるのだろうか?。

 戦争をするには、金が要る。この日本で通用しているのは、円ではなくてドル。政府が崩壊しているのだから、当たり前か。そして、ドルを稼ぐために、ドラッグ(麻薬)を輸出し、食料や武器弾薬を買っている。いわば、ドラッグ経済で日本は成り立っていた。
 海人が、最初に孤児部隊の中で頭角を現したのも、戦闘中に奪ったドラッグだった。月田姉妹が、パンプキンガールズを作った資金も、東京UFから奪ったドラッグだった。
 椿子たちのビジネスは、ドラッグ取引、売春、ホテルやバーの経営、武器の故売、等等。パンプキンガールズ達は、ビジネスをしながら内乱を戦っていた。

 戦争に、ドラッグとセックスは付き物である。どこの軍隊にも腐敗はあるし、恐怖を紛らすものは快楽である。
 つくづく戦争というもののやりきれなさ、を思う。 

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2009年7月 5日 (日)

スペースカレー

 名古屋市科学館のお土産がこれ、スペースカレー!。宇宙空間で食べるために作られたカレーです。
 ブログの知人が、レトルトカレーの食べ比べ?をやっているので、私も変わったカレーを食べてみよう と思い、買ってきました。
097kare1_2097kare2_2  

 無重力空間では専用の加熱トレーで温めるそうですが、地上では熱湯に入れて3~5分、ご飯にかけて、出来上がり。
097kare3_2  味は、スパイシーと書いてありましたが、やはり私にはちょっと辛め。口の中が少しヒリヒリします。肉も小さいですがちゃんと形がありますし、マッシュルームやまいたけも形がありました。噛み応えは、無かったけど。普通のレトルトカレーとしても十分通用する味で、美味しいです。

 あなたも、宇宙飛行士・若田光一さんになった気分で、カレーを食べてみませんか?。

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2009年7月 4日 (土)

名古屋市科学館

 6月25日は、用事があって名古屋へ行きました。
Kagaku1  午前中で用事は終わったので、午後は久しぶりに科学館へ、プラネタリウムを見に行ってきました。
 12時過ぎに科学館へ着いて、チケット(600円)を買ったら13時の回はもう満員(小中学校の団体が入っていました)だったので、14時30分の回を予約。それまで、ついでに館内を見学することにしました。
 先ず地下の休憩室へ行って、コンビニ弁当を食べました。ところが、休憩室はなんと幼稚園の団体がいっぱい。嫌な予感がします。

 案の定、理工館の中は、幼稚園の団体が、しゃべりまくり、走り回り、機械を触りまくっていました(写真上)。もちろん、子供が科学に触れるのに文句はありません。ハイ!。しかし、できれば私が居ないときに来て欲しかったなー (~_Kagaku2~)。
 しかし、生命館の方はパネル展示が多いので、幼稚園児はおらず、中学生らしい団体がちょっといましたが、彼らは静かに見ていたのでOK。私も、こちらを見学することにしました。

 2階、「環境ーあすの地球」では、隕石や原始地球の石(写真中)、化石の展示があり、たつまきにさわろうや夕焼けをつくろう、などの装置もあります。
 3階、「生活ーゆたかなくらし」では、実際の家の模型があって、造りを考えるようになっていましたし、南極や赤道直Kagaku3下の気温を体験できる部屋もありました。
 5階、「生命ー人体のしくみ」では、大きな人体模型の中で、脳や筋肉、血管の働きなどを映像で見ることができるようになっていました。リアルな人体模型(写真下)もありました。
 6階、「生命ーミクロの世界」では、細胞やDNAについての説明がいろいろな方法で展示されていました。

 プラネタリウムでは、夏の夜空と7月22日の日食についての映像が映し出され、特に過去世界各地であった皆既日食の映像が興味深かったです。当日は名古屋で8割、北海道でも5割の部分日食が見れるそうです。

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2009年7月 3日 (金)

愚者と愚者(上)

打海文三の「愚者と愚者(上)野蛮な飢えた神々の氾濫」を読みました。これは、「裸者と裸者」の続きです。

 佐々木海人は、21歳。常陸軍の大佐で、孤児部隊の司令官である。月田桜子は爆弾テロで死亡。今は椿子一人が、パンプキン・ガールズを指揮している。

 東京は、旧政府軍・宇都宮軍・仙台軍・常陸軍の4軍が平和停戦を行い、暫定統治評議会が成立した。だが、テロは続く。外国との戦いなら、平和条約が調印されれば、その時から爆弾が飛んでくることは無い。だが、内戦の場合はそうはいかない。軍隊や兵士は、自分たちを養うためにも戦いを止めるわけにはいかないし、利権を得るためには権力を握らなくてはならないからだ。

 常陸軍はシティの選挙を成功させた。選挙権は、住民登録をした18歳以上の全ての日本人と外国人に与えられた。

だが、軍隊の中にも住民たちの中にも、様々な差別が存在し、それが争いの一つの種になった。最初は、ゲイの兵士への虐待と差別。常陸軍や外人部隊にもそれはあったが、海人達は差別を許さず、差別主義者を排除し、部隊を編成しなおした。

だが、ゲイを標榜する指揮官が率いる「黒い旅団」が現れた。彼らは、男であることを強調し、女は守られるべきであり、戦闘に女は参加すべきでないとしていた。彼らは、有能な指揮官の下で勢力を増し、松本・甲府から中部へと攻め入り、各軍隊のゲイ兵士と呼応して内部分裂をさせて勝ち進み、とうとう首都圏へとやってきた。

対するは常陸軍と同盟の4軍。彼らは、首都圏を守ることができるのだろうか?。

この本を読んで、今のイラクの情勢を考えた。確かに戦争は終わったが、テロと内乱は未だ続いている。この本に書かれているのは、架空の日本だが、世界各地ではこれと同じような戦闘が続いているのだ。

ここに書かれているのは、性差別とジェンダーによる嗜好の差別。ほんのちょっとしたことでも、差別の対象にはなる。人種差別、民族差別、宗教差別、等々。全ての差別を許さず、公平な選挙を行い、平和な国を取り戻すのは簡単なことではない。

ここには、アメリカの武器商人も出てきた。一世代も二世代も前の古ぼけた武器。それはアメリカ軍には売れないが、遅れた紛争地域になら売れる。そうやって、売られた武器で多くの人々が傷つき、死んでいく。それも、やはり世界の現実だ。

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2009年7月 2日 (木)

ナナちゃんの避妊手術

 昨日は、ナナちゃんの避妊手術の日でもありました。
097nana2  一昨日の夕方にナナちゃんを犬猫病院に預け、昨日の午後から手術。私が病院から帰宅してから、受け取りに行ってきました。
 ナナちゃんは、手術跡をなめたりしないように、首に使用済みのX線フィルムで作ったエリザベスカラーを付けてもらっていました。抜糸は13日。それまで、カラーを取らないように、外へ出さないようにしなくては。

 獣医さんの話では、ナナちゃんの卵巣と子宮は未発達だったそうです。もう3歳になっているのに、体が小さいし、ノラだったから栄養が足りなかったのかも。取り出された小さな卵巣と子宮を見せてもらいまし た。手術料は、市の補助があるので、16,650円でした。

097nana3 ナナちゃんは、傷の痛みからか、昨夜はぐったり。食事もしません。でも、トイレだけはきちんと行きました、カラーのせいでやりにくそうにはしていたけれど。
 座椅子でぐったり寝ていましたが、私がパソをやっていると、よろよろとやってきて、いつものパソの椅子に乗って、ちゃっかりと寝てしまいました。私は、もちろん補助椅子に (~_~)。でも、せっかく来てくれたので、許しちゃう。
 毛を剃られたお腹が、痛々しい。私が背中をなでると、抗議するようにニャーと鳴きます。ごめんね、痛い思いをさせて。でも、子猫までは育てられないから、諦めてね。

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2009年7月 1日 (水)

突然の腹痛

 今日は、大変でした。
 朝、起きた時は調子が良く、朝食を食べ、ゴミを出して、洗濯物を干して。ところが、パソを開いて、皆さんのブログを見たり、自分のブログのコメントを書いていたりしたら、突然すごい腹痛がきました。
 しばらくすれば治まるかと、トイレに行ったり、水を飲んだりしていたのですが、だんだん酷くなって。元々胃腸は丈夫なので、こんな痛みは滅多にありません。
 朝食に食べたのは、トースト・野菜ジュース・サラダ・バナナ。どう考えても食中毒にはなりそうもないし。昨日の食事なら、なるのが遅すぎ。今朝はきちんとお通じもあったし。
 しかし、痛くなったかと思うとしばらく治まって、また痛くなるを繰り返し、とうとう油汗が出るほど痛くなり気持ちも悪くなってきたので、病院へ行くことにしました。自分で運転していく自信が無いので、タクシーを呼んで病院へ。

 病院に着いたのは、12時過ぎ。しかし、なんとか午前の診察にもぐりこませていただいて、待つこと1時間ほど。医師は、問診と触診を少しして、レントゲンと血液検査、CTを指示。ええっー!。私は、ちょっと診てもらって、整腸剤をもらうつもりだったのに。すごい大事に。待って、検査して、また待って。ふー、お腹は痛いわ、疲れるわ。
 結果、腸炎らしい。原因は不明。
 血液検査で、白血球が1万を越していました。いつも3000~4000の私にはありえないこと。炎症を起こしているのは間違い無さそうです。
 医師には、原因は分からないので、大腸カメラを受けたらどうかと提案されました。これで原因が分かるかどうかは何とも言えないけど、何も無ければ安心だし。
 ということで、大腸カメラの予約もして、整腸剤と痛み止めを処方してもらって終了。
 やれやれ、まいったなー。結局、家に帰ったのは、17時過ぎ。疲れました。
 夕食は普通に食べて、薬を飲んだけど、いいのかなー。今も時々痛むけど、昼間よりましになりました。

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