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2009年8月31日 (月)

当尾の石仏(2)

 岩船寺から先は、舗装もしていない細い山道に入って行きました。少し上り坂を歩いた後は下り坂です。回りは木が鬱蒼と茂っており、道にも枝が垂れてきていました。途中三体地蔵と書かれた小さな石柱が三本立っている地蔵尊がありました。

Sekibutu5  広い道へ出た先に、弥勒磨崖仏がありました。ここも大きな石に弥勒菩薩が彫られていました。そこからは、狭いですがまた舗装された道が続きます。緩やかな下り坂で、道の周りにはちょっとした棚田が続いていました(写真上)。
 道から少し上がったところに「眠り仏(地蔵石仏)」と「わらいぼとけ」がありました。眠り仏は小さな石仏で、長い間土の中にあったので、この名前が付いたそうです。「わらいぼとけ」は大きな石に三体の仏様が彫られており、仏様の顔が笑っているかのように見えました。この辺りでは、もう雨は時々パラパラする程度になってきました。
Sekibutu6  「唐臼(からす)の壷」は、大きな石に丸い穴があいているものでした。昔臼、として使われていたのだろうか。そのすぐ近くには「からすの壷二尊」がありました。これも大きな石に、前面と側面の二箇所に石仏が彫られていました(写真中)。
 「やぶの中三尊」は、やはり大きな石に二体とその横にある石に一体の仏像が彫られていました。

 当尾地域は、奈良の興福寺の別所として、寺院や多数の石仏が建立されたのだそうです。浄瑠璃寺もそうした別所の一つで、国宝の三重塔と九体阿弥陀堂が池を挟んで建っています。池は、平安時代後期の浄土式庭園だそうです(写真下)。
Sekibutu7  本堂にお参り(拝観料300円)。本堂の中には、九体の阿弥陀仏が安置されていました。真ん中のが一番大きくて、その横に4体づつ。そしてその横には、不動明王や四天王の持国天と増長天も。平安時代の由緒ある仏様でした。また、本堂の脇にも石仏がいくつかありました。
 三重塔には、薬師如来が安置されているのですが、アライグマに傷つけられたため現在補修中ということで、中に置かれていた壷などが外に展示されていました。

 浄瑠璃寺を出たところで、飲食店でアイスクリームを食べ、ついでに着替え。14時ちょっと過ぎに駐車場に行きました。
 バスは帰りも3台目でしたが、早めに全員揃ったので、14時20分に出発。途中1回休憩して、17時に名鉄バスセンターへ着きました。

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2009年8月30日 (日)

当尾の石仏(1)

 昨日は、名鉄バスツァーハイキング「当尾の石仏を巡り浄瑠璃寺へ」コースに参加してきました。途中、雨に降られましたが、素朴な石仏と山里の景色が見られて良かったです。

Sekibutu1  昨日はバス3台で、私は3台目に乗りました。バスは、8時に名鉄バスセンターを出発し、途中1回SAで休憩して、10時50分に加茂青少年山の家駐車場に着きました。
 舗装された山道を歩いて行きます。道は緩やかな上り坂で、周りは杉や竹の林ですが、どうも竹がはびこっているらしく、少し奥の方は枯れた竹が倒れたままになっており、手入れがなされていないようでした。
 道の途中に「仏谷 阿弥陀磨崖仏」と書かれた立て札がありました。林の奥の方を見ると花崗岩に彫られた阿弥陀如来像が見えます。丈は約2.5mと書かれていました。近くまで行ける道があるのですが、草ぼうぼうの急坂なのSekibutu2で、遠くから見るだけにしました(写真上)。
 その少し先には、大門石仏群がありました。ここは、道の傍らに小さな石仏がたくさん集めて置かれています(写真中)。その向かい側に荒れ果てた感じのお社がありました。この辺りは大門地区という集落で、山間に家や畑が点在していました。ちょっと道を入ったところには、石を並べた奥に「穴ヤクシ(薬師如来)」もありました。

 そこから道は開けたところに出てきました。田んぼが広がっています。早生のようで、もう稲穂が実りかけていました。
Sekibutu3 岩船地区は、少し大きな集落のようで、家もたくさん立ち並んでいました。道の脇に一袋100円と書いて野菜が吊り下げられている、無人販売所がいくつかありました。岩船寺へ行く観光客目当てでしょうか。この辺りへ来た時に、急に雨が降ってきました。
 岩船寺は、729年に行基が開いたといわれる古刹で、門前には鎌倉時代に寺塔三十九坊の僧が身を清めたという石風呂がありました。拝観料300円。
 本堂には、大きな阿弥陀如来像が祀られていて、その周りに四天王像が置かれていました。その横の通路には、不動明王像や十二神将像など平安・鎌倉・室町時代の仏像が多数納められていました。
 雨が降っているので、本道の軒先で休憩&昼食。その後、境内の散策路を歩いて、三重塔(写真下)や十三重石塔、五輪塔などを見学しました。続く。 

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2009年8月28日 (金)

オミナエシ(女郎花)とオトコエシ(男郎花)

 先日、久しぶりに河川環境へ行ってきました。オミナエシの群落があり(写真上)、オトコエシも少しですが咲いていました(写真中)。
 川原が造ってあるところでは、水遊びをしている親子連れもいましたが、傍らには彼岸花も咲いており(写真下)、公園はもうすっかり秋の装い。
 風も涼しくなり、今年は夏が短かったなーと思いました。
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2009年8月27日 (木)

リンゴとカボチャ

098yasai  スーパーで、リンゴとカボチャを買ってきました。しかし、この大きさ。リンゴの方が明らかに大きいです。

 大きいリンゴも美味しかったけど、この小さいカボチャもけっこう美味しい。
 小さいので、そのまま蒸し器に入れて、箸がすーっと通るまで蒸します。箸で二つに割って、中の種を取り出し、塩を振る。ホコホコとしていて、美味。私向き、手間なしの簡単料理でした。

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2009年8月26日 (水)

ドリーミング・オブ・ホーム&マザー

 打海文三著の本です。この「ドリーミング・オブ・ホーム&マザー」もちょっと分かりにくいストーリーでした。題名は、文中の作家・小川満里花のデビュー作であり、アメリカ民謡「旅愁」の歌。

 田中聡と、さとうゆうは、幼馴染である。子供時代、聡の叔母が飼っていた犬・月光が保健所に引き取られた時、ゆうは月光を取り返しに行くために、聡と保健所へ乗り込んだ。そして、月光は聡の家で飼われることになったが、しばらくして病気で死んだ。
 聡は大学卒業後、中堅のディベロッパーに就職したが、5年後会社が倒産し、文芸出版社に転職した。彼は、そこで自分が好きな作家・小川満里花に直接インタビューする機会を掴んだ。
 さとうゆうは、大学を中退してから、ずーっとフリーのライターをしていた。その関係で聡と共に小川満里花とインタビュアーとして会い、記事を書いた。小川満里花は、以前月光奪還に行った保健所の職員で、ゆうのことを憶えていた。二人は急速に仲良くなった。 
 満里花は、黒い大型の牧羊犬・イエケを飼っていた。聡とゆうが満里花の別荘に泊まった夜、イエケがゆうを襲った。ゆうは、大怪我をし、パスツレラ症に感染した。1ヵ月後、満里花からイエケを処分したというメールが来た。満里花は別荘から東京のマンションに引っ越した。
 翌年、東京でSARSが蔓延した。SARSのウィルスはイヌコロナウィルスに近似しており、犬から人への感染が疑われた。満里花の恋人は、別荘の近くで死体となって発見された。大型の黒い犬の目撃が報告される。黒の大型犬に咬まれた警官はSARSを発祥。イエケは生きているのか?黒の大型犬はイエケなのか?。イエケとSARSの関係は?。

 私は犬を飼ったことが無いのでよく分からないのだが、犬が飼い主を慕う気持ちはどれだけ大きいのだろう?。犬にも個性があるから、個々の犬によっても違うだろうが、飼い主が与えた餌しか食べないという犬もいるらしい。飼い主が居ないと絶食してしまうそうだ。また、犬にとっては序列が全てで、自分より下の序列の者の言うことはきかないらしい。
 イエケも満里花を慕って、逃げ出し、道に迷いながらも別荘へ行き着く。そして、満里花にとって自分より序列が上の恋人を殺し、次は満里花が住む東京へ。満里花はイエケを殺せなかった。ペットと人間の深い関係。
 今日本では、豚由来の新型インフルエンザが蔓延している。このウィルスの致死率は低い。だからパニックは起きていないが、もしもっと致死率が高いウィルスが発祥したら、それはやはり恐怖だ。
 しかし、この小説の結末がよく分からない。これは夢?、それともパラレルワールドなのか?。

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2009年8月25日 (火)

洗濯物、大好き。

 全く、洗濯物が大好きで困ってしまいます。誰がって?、いや私じゃありませんよ。ナナちゃん。
 洗濯物を部屋に入れたとたんに、上に乗ってるんですよねー。さっさと片付ければと言われても、きれいにたたんだタオルの上にまた乗ってる (~_~)。
 困った猫だけど、かわいいので許しちゃう。
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2009年8月24日 (月)

そこに薔薇があった

 応化シリーズを読んで以来、打海文三に興味が持ったので、この作家の本を2冊借りてきました。

 「そこの薔薇があった」は7編の短編からなる小説集です。
 前の6編は全て結婚または離婚が関係している男女の物語で、必ず最後に男性が殺されて終わります。
 「はしゃぎすぎてはいけない」は、離婚してしばらくたった男性が、高校時代に電車通学で見かけた憧れの彼女と再会する話。彼女から電話があり、酔った彼女を家に入れた時に惨劇が・・・。
 「結婚式までカウントダウン」では、結婚を29日後に控えた男性が、あるアトリエで見かけた女性とちょっと話しをしたことから始まった。私は鳥、私を飼って、と言ったその女性を家に入れた。男性は結婚式をすっぽかし、その夜・・・。
 「お家に帰ろう」では、仕事で高校時代の恩師がいる町に来た男性。ホテルでバイクに乗る女性に声をかけ、ついテレホンセックスの相手をしてしまった。夜の山道、男性の車をバイクが追っかけ・・・。
 「街で拾ったもの」、若き編集者の男性は、女性漫画家と同棲を始めた。彼女は街で別の女性と仲良くなり、彼女を家に連れて来る。3人の共同生活が始まり、ある日漫画家が出かけた夜・・・。
 「みんな我慢しているんです、と彼女は言った」、妻が出産のため実家に帰っている男性。少年野球で場外に飛んだボールを投げ返した女性とキャッチボールをし、その女性の後をついていったら・・・・。
 「ふたりのメアリー」、両親が亡くなって、別々の親戚に引き取られた兄妹。17年後妹から連絡があり、二人はお互いに好きだったと確認しあったが・・・・・。
 そして、「美しい年齢」で、殺人事件の犯人が明かされる。

 殺人事件があると言っても、探偵小説ではなく、どちらかというと怪奇小説に近い奇妙な味わいのある短編集。
 男性たちに殺されなければならない理由は無い。全て偶然に近い出会いで、不条理な殺人が行なわれる。物語は淡々と進んでいくが、結末を期待して、ついつい最後まで読んでいってしまう。話の経過に興味が湧き、途中で止められない。
 応化シリーズとは全然味わいが違う、不思議な物語でした。

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2009年8月23日 (日)

宇宙へ

 この映画はどうしようかなっと思っていたのですが、21日(金)・22日(土)と500円で見られるとあったので、行ってきました。

 この映画はイギリスのBBCがアメリカの宇宙開発について、過去の映像を集大成したドキュメンタリーである。なので、目新しい映像やCGは無い。私が見たことがある映像ばかりだ。
 1957年ソヴィエト連邦が人工衛星を打ち上げた。アメリカはそれに対抗するために1958年10月にNASAを設立し、ソ連との宇宙開発競争を始めた。ケネディ大統領は、月への有人飛行という計画を打ちたて、それに向かって準備が進められていった。
 最初に宇宙へ行った猿のハム君。そして、初めて無重力飛行・宇宙空間を経験した飛行士達。アポロ計画。人類は初めて月へ。それから、スペースシャトルでの宇宙飛行へと発展していく。

 映画自体は、さして面白いものではなかったが、いろいろ考えさせられた。
 1960年代、私は小学生だった。月の裏側の写真が大きく新聞紙上を飾ったとき、わくわくどきどきとしてそれを眺めた。火星の写真、金星の写真。宇宙へのあこがれ、私がSF好きになった原点かも。
 アームストロング船長の月着陸の映像、夜中に居間のテレビに張り付いて見ていた。大阪万博では月の石が展示され、すごい行列。私も大阪万博に行ったけど、あの行列に並ぶ気は無く、小さなパビリオンをいくつか見て終わった。後年、北九州市にあるスペースワールドで本物を見たけど、普通の石のような感じだった。
 ところで、1972年にアポロ計画が終わって以来、誰も月へは行っていない。もちろん、火星や金星へも。映画ではベトナム戦争にもちらっと触れていた。人間が宇宙へ行くようになっても、地球上では紛争が続いている。
 この前若田さんが宇宙から帰ってきたけど、あれは宇宙ステーションの建設である。人間が月へ行った頃、私達はもっと遠くの宇宙へも行くことを夢見ていた。その想いは、どうなったのだろう。

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2009年8月22日 (土)

処女湖から箱館山ゆり園へ

 ここから先は上り坂です。渓流沿いに登っていくので、ところどころに沢があります。沢には大きな石が置いてあって、それを伝って渡っていけるようになっていますが、多少隙間があるのでちょっと怖い。道がぬかるんでいるところもあるので、要注意です。
Hakodateyama4  所々で休憩をしながら、くねくね続く狭い道をせっせと登っていくと、ちょっと開けた場所に出ました。そこから道をおりていくとゲレンデが見えました。おお、やっと元の場所に戻ってきました。あー、疲れた。
 ゲレンデの下、平らなところにシートを敷いて、お茶休憩。隣にはゆり園があります。後は、ゆり園の柵に沿って歩いていけば、ロープウェイの山頂駅です。

 ゆり園にはロープウェイの山頂駅から入っていけるようになっています。残念ながら、ゆりはもう盛りを過ぎ、残っている花はほんのわずか。なので、ゆり園は無料で入ることができるようになっていました(写真上)。
 ゆり園では、「ゆりの根の天ぷら」と「ゆりソフトクリーム」を売っていました。暑いので、ゆりソフトクリームを食べました。ゆりソフトクリームはピンク色で、ゆりの匂いがちょっとするかな?という感じでした。
Hakodateyama5Hakodateyama6Hakodateyama7   
 ゆり園の中は、とても広いです。ちょっと小山になっているところにゆりがいっぱい植えられています。でも、花が付いているのは少なくて、入り口付近にいろいろな色のゆりが少しあり、あとは白いゆりがところどころにHakodateyama8 咲いている程度。観光客も多少来ているのですが、花が少なくて暑いので、歩き回っている人は少なかったです。私もちょっと見回ってから、第二ヒュッテの無料休憩所で一休み。
 トイレで、汗びっしょりの服を着替えてから、ロープウェイに乗りました(写真下)。

 14時20分、ロープウェイ山麓駅着。14時35分、全員揃ったので、ちょっと早いですがバスは出発し、途中1回休憩して、16時50分に名鉄バスセンターに着きました。

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2009年8月21日 (金)

箱館山から処女湖へ

 17日は、名鉄バスツァーハイキング「箱館山・処女湖とゆりの楽園」コースに参加しました。先日行った田の原天然公園が良かったので、今回も涼しい高原に行ってゆりの花が見られたらいいなーと思ったのですが、今回のバスツァーはそんなに甘いものではありませんでした。
Hakodateyama1  今回のコースは、★★で登山靴にストックのマークです。私もゴツイ登山靴を履き、折りたたみのストックをリュックに入れて、バスに乗り込みました。
 バスは8時に名鉄バスセンターを出発し、途中養老SAで休憩、10時05分に箱館山ロープウェイ山麓駅に着きました。
 この山麓駅があるところは平地とほぼ同じ高さ。ここから、ロープウェイに乗って山頂へ行きます。ロープウェイは、6人乗りのゴンドラが次々と出ていて、約10分で山頂駅に着きました。地図を見る と、標高600mぐらいです。うーん、平地より3,4度しか低くないということは、気温はたぶん30度近いはず。涼しい風は吹いてきますが、かなり暑いです。

Hakodateyama2 最初はゆるやかな上り坂。箱館山スキー場のゲレンデ横を上っていきます(写真上)。広々とした坂の上にリフト降り場があり、その辺りからは下のゆり園やその向こうに広がる琵琶湖がとてもよく見渡せました。
 そこからは木々が鬱蒼と茂る林の中へと入っていきます。道は下り坂。最初は緩やかな下りで道幅も広かったのですが、ショートカットコースの分岐点から先は、道幅がどんどん細くなり、人一人が通れる程度になってきました。坂も急になり、ストックを突いてゆっくり下りないと危ない感じです(写真中)。
Hakodateyama3  気温も高いので、汗びっしょり。日頃の運動不足解消です。踏み分け道のようなところを歩いていくと、木々の間から、処女湖が見えてきました。この湖は灌漑用水確保のために造られた人造湖だそうです。水は緑色をしていて、とても深そうです。大正年間に15年もかけて造られたとあって、かなり広く大きな湖です(写真下)。沢を渡り、湖に沿って細い山道を歩いて行きました。
 沢の横に空き地がある場所があって、そこで昼食を食べている人が何人か居たので、私もここで、休憩。木陰で昼食を食べました。続く。 

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2009年8月20日 (木)

しゃべれども しゃべれども

 図書館で「しゃべれども しゃべれども」のDVDを借りてきました。落語はけっこう好きなので、どんな話かなっと思って見てみました。

 二つ目の落語家・今昔亭三つ葉。二つ目というと、いちおう一人前の落語家だが、未だ師匠に稽古をつけてもらっている段階。全然売れてもおらず、高座に出る機会も少ない。もちろん、テレビなんかに出ることもない。
 そんな彼が、カルチャーセンターの講師として「話し方教室」へ行く師匠に付いて行ったことから、無愛想な美人・十河五月と知り合う。そして、彼女になぜか落語を教えるはめになってしまった。三つ葉の落語教室には、他に大阪弁の小学生・村橋や元野球選手の湯河原もやってくる。彼ら3人は、それぞれ話し方で悩んでいた。
 美女・五月は、無愛想なため想いをうまく伝えられず、恋人に振られた。小学生の村橋は、転校生ということもあり大阪弁をからかわれている。元野球選手の湯河原は、引退後解説者になるが、話下手なためテレビ局からお呼びがかからなくなった。
 しかし、落語を覚えることでそれらが即座に解消できるわけではない。彼らの落語はうまくならず、三つ葉自身も彼女に振られて意気消沈の日々。
 だが、師匠が一門の落語会を開き、彼にも芸を披露できる場が与えられるということで、発奮。3人のためにも落語発表会を開くことになった。さて、落語はうまくいくのだろうか?。

 人前で話すというのは、けっこう難しい。私も仕事をしていた頃は、話をするのが仕事だったような部分もあり、いろいろ考えました。ただ仕事の場合は、職業上の笑顔とか職業上の話し方のようなものもあり、ふだん友人達と話すのとは違うし、本音を言わずに済ますこつも覚えたりして(それでも多少はにじみ出たと思うけど)。
 たぶん、落語教室とか話し方教室に行くというのも、それと似たようなものかもしれない。話すテーマがあって、ともかく人の顔を見ながら話していく内に、それに慣れてきて自分のことも話せるようになるのだと思う。

 小学生・村橋がなかなかいいです。生意気で小憎たらしいような口を利く、こまっしゃくれたガキですが、本音で生きてる。子供だから、他人の気持ちを考えたり遠慮したりということが未だ分かっていない。その分腹もたつけど、納得できる部分もあって。最後に落語「まんじゅうこわい」で見せるしぐさがかわいくて、笑えます。
 落語、聴いている分には簡単そうに見えるけど、やってるほうはすごく大変なんだなーとつくづく思いました。 

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2009年8月19日 (水)

ワルキューレ

 図書館へ行ったら、この本が「お薦めコーナー」に置いてありました。確か以前映画になった話で、私は見ていないので、原作を読んでみることにしました。

 「ワルキューレ ヒットラー暗殺の二日間」
 これは、1944年7月19日と20日の物語である。その年、ドイツ軍はロシア戦線で負け続け、連合軍はノルマンジー上陸を果たした。そしてベルリンは爆撃を受け、都市は瓦礫の山となりつつあった。
 7月19日の夜、ヒトラー暗殺を企てたクラウスは、計画の行く末と興奮で眠られぬ夜を過ごしていた。ヒトラーも体の不調で眠れず、鬱々としながら自分の人生を思い出していた。
 翌7月20日、クラウスはへフテンと共に、飛行機でヒトラーが居るヴォルフスシャンツェに着いた。予定では地下壕で行なわれるはずだった会議は、シュペーアの兵舎に変更になった。爆弾は一発、会議中に爆発し、兵舎の一部が吹き飛んだ。ヒトラーは倒れ怪我をしたが、生きていた。だが、クラウスはヒトラーが死んだと思い、予定通り飛行機に乗ってベルリンへと逃げた。
 ベルリンは大混乱。果たしてヒトラーは、生きているのか、死んだのか。電話が飛び交い、いろいろな情報が渦を巻く。将軍達は決断できず右往左往。ワルキューレは発令されたが・・・・。

 ワルキューレ計画というのは、クーデターが発生した場合に戦闘部隊を動員するのが目的の取り決めだった。だが、クーデターを計画したクラウス達はこの作戦を逆手にとって、戦闘部隊を動員してベルリンを制圧しようと考えたのだった。
 この作戦は失敗し、関係者約7000人が逮捕され、約200人が処刑された。これは、歴史的事実である。

 小説や映画の場合、事実をどう膨らませ、人間関係などのドラマをどのように描くか、が問題となる。それが面白さとつまらなさの境目。
 この小説は、私としてはつまらなく、好みではなかった。特に第1部は長々とヒトラーの昔物語を切れ切れに描いているだけ。ヒトラーが不遇な青年時代を経て、軍隊で勇敢さを表し、演説のうまさからのし上がっていったということはよく分かったが、それならヒトラーの生涯を書いた本を読んだ方が面白いと思う。
 第2部の暗殺計画が終わった後の混乱は、ちょっと興味深かったです。通信手段がダイヤル式の電話しかない時代。現地で何が起こっているのか、本当のところはどうなのか、誰も分からない。そんな時に、はっきりとことが分かるまで、先送りされる事々。人間性が現れる場面だ。
 映画はまた印象が違うかもしれないが、どうだったのだろう?。

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2009年8月18日 (火)

ナイトミュージアム2

 「ナイトミュージアム2」を見てきました。以前の「ナイトミュージアム」よりもスケールアップ。宣伝に違わぬ面白さでした。

 自然史博物館で夜警をしていたラリーは、自分が発明した製品が売れて、今や会社社長。夜警を辞めて、ビジネスに忙しい毎日を送っていた。
 ある日、久しぶりに自然史博物館を訪れると、なんとそこは改装中。展示物は新しくバーチャルになり、古いものはスミソニアン博物館へ運ばれるために荷造りされていた。ラリーは、展示物と共に最後の一夜を過ごすのだった。
 だが次の日、ミニチュアのカウボーイ・ジェデダイヤから電話があった。あの魔法の石版をオマキザルのデクスターが盗んで持ってきてしまったというのだ。さあ、大変。夜になるとスミソニアン博物館の展示物が動き出す!。
 ラリーは、スミソニアンの倉庫に忍び込むことに成功した。案の定、倉庫にしまわれていた展示物が生き返り始めていた。そして、自然史博物館の仲間達は小部屋に押し込められ、エジプトのファラオ・カームンラーが石版を使って世界制服をしようとたくらんでいた。
 ナポレオン、イワン雷帝、アル・カポネは、カームンラーの側についた。ラリーは、女性飛行士アメリア・イヤハートやカスター将軍、ダイオウイカ、宇宙猿のエイブル、アインシュタイン、石像のリンカーンらの助けを得て、彼らと戦う。
 果たしてラリーは石版を取り戻すことができるのか、自然史博物館の仲間達の運命やいかに?。

 いやー、楽しかった。博物館フリークとしては、ぜひスミソニアン博物館へ行ってみたくなりました。あの展示物が見たい。
 ライト兄弟の飛行機(レプリカは中部国際空港にもある)から宇宙ロケットまで。映画では、もう少しでロケットが打ち上げられるところだった。
 考える人の彫刻からドガの踊り子、キューピッド。美術館の絵も動き出す。考える人がマッチョのポーズをとったりして、笑えます。
 ダイオウイカの活躍もいいなー、最初私はタコかと思ったけど、イカだったのねー。

 最後、人間のほんとうの幸せとは何か?。
 好きなことを、好きな人と共にすること。やはりお金だけではない、生きる楽しさが大事。そう、人生は楽しまなくっちゃね。
 しかし、現代の子供達は、展示物が動いても当たり前だと思ってしまうのね。よくできた作り物だろうと。ロボットやいろいろな技術が発達して、驚きがなくなってしまうのも、ちょっと寂しいな。

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2009年8月16日 (日)

朝顔の迷路

 久しぶりに138タワーパークへ行ってみたら、朝顔の迷路ができていました。
 行ったのは夕方だったので、朝顔もちょっと元気が無いようですが、けっこう咲いていました。最近の朝顔は長く咲いているのね。
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2009年8月15日 (土)

濃尾大花火

昨日、一宮市の濃尾大橋近くの川原で濃尾大花火を見てきました。今回はかなり近くで見たので、花火全部が入りきらないほどでした。
 

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2009年8月14日 (金)

カミキリムシ

 庭の青紫蘇の上に大きなカミキリムシがいました。ネットで調べたら、カミキリムシは日本には800近い種類が生息しているとか。もちろん、それぞれみんな名前が違うし、姿形も少し違う。全く虫の世界は奥が深すぎ。
098kamikiri  ところで、これはたぶんゴマダラカミキリ。一番ポピュラーな種類で、我が家のイチジクの木の汁を吸って枯らす悪いヤツ。見かけはきれいなんだけどねー。

 気が付くと、あれほどうるさかった蛙の声は聞こえなくなり、庭からはジージー、リーンリーンという秋の虫の音が聞こえるようになりました。蝉もシャーシャーと鳴くクマゼミだけでなくツクツクホーシという鳴き声も聞こえてきました。
 梅雨が明けたと思ったら、もう立秋も過ぎ、昼間は真夏の暑さですが、朝晩の庭は秋の気配が漂っています。

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2009年8月13日 (木)

ノコギリ

 ちょっと前ですが、柿の木の枝が1本折れました。けっこう長くて太い枝だったので、細かく切らないとごみに出せません。
098nokogiri  そこで、ノコギリの出番。ところがこのノコギリ、切っている途中でパランと折れてしまいました(写真の右側)。これは、10年ぐらい前に買ったもので、年に何回か使う程度、手入れもほとんどしていません。しかたないなーっと思って、ホームセンターへ新しいのを買いに行きました。

 さすが、ホームセンター。ノコギリも各種揃っていて、目の寸法もいろいろ。そこで店員さんに聞いたところ、「生木を切るのは普通のノコギリではなく、それ専用の物を使った方がいい。」と言われました。乾燥した工作用の木と生木は、全然違うのだそうです。
 そこで、同じホームセンターにある園芸用品のコーナーに行くと、そこにも少しですがノコギリがありました。その中で、私が使いやすいように小さめのものを買いました(写真の左側)。以前使っていたノコギリとは目の粗さが全然違います。
 これでいいのか?と思ったのですが、これがまたよく切れるのです。当の柿の枝はもちろん、今まで切れなくて庭の隅にほかってあった枝も始末できました。
 やはり、道具は大事です。

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2009年8月12日 (水)

スター・ウォーズ 破砕点(下)

 「スター・ウォーズ 破砕点(上)」に続き、(下)を読みました。最初はちょっとなじみにくかったのですが、やっぱりスター・ウォーズは面白いです。 映画だけでは分からなかったことも少し理解できました。

 ジェダイ評議会の長老 メイス・ウィンドウは、フォースの力を通じて物事が変わる時点であるシャッター・ポイント(破砕点)を見通すことができた。
 惑星ハルウン・コルに派遣されたジェダイ デパ・ビラバは、現地人コルンのリーダー カー・ヴァスターと行動を共にしていた。カーは、幼少時にバロワイ(他惑星から来た採取者)に両親を殺され、ジャングルの中で一人で生き延びた。そのため、普通のコルンより強いペレコタン(フォースと似た力)を持っていた。
 デパとカーは、共同して戦い、ハルウン・コルの宇宙港ペレク・ボウから分離主義勢力を追い払った。だが、それは罠だった。分離主義勢力はバロワイ達に宇宙船や武器弾薬を与え、コルン達を殺させた。そして、メイスがやってきた。
 メイスは、カーの仲間に連れられてコルン達の避難場所へ来た。そこで、傷ついたデパやコルン達を見て、共和国の宇宙船を呼び寄せた。それが、戦いの引き金となった。
 ハルウン・コルの近くにある小惑星帯に潜んでいた分離主義勢力の宇宙船は大挙して共和国の宇宙船に攻撃を加え、バロワイの採取者や市民軍は避難場所へと押し寄せてきた。
 今しも攻撃が始まり、共和国の宇宙船やコルンの避難民が虐殺されようとしていた時、メイスはシャッター・ポイントを見つけた。メイスの奇想天外な作戦が始まる。

 このメイスの奇想天外な作戦というのがすごい。スター・ウォーズのテーマ・ミュージックが耳元で聞こえてくるような、そんな気がする痛快な戦い。今までやられてばかりいた仲間達が、次々と反撃しやりかえしていく。しかも、考えられないような規模で。
 ただ、犠牲も多きい。デパ は闇に落ち、多くの人々を虐殺し、自身も正気を失った。多くのコルンとバロワイ及び兵士が亡くなった。だが、ハルウン・コルに平和は戻り、共和国は勝利した。

 フォースの力というのが、映画ではよく分からなかったのだけど、どうも”場が持つ力”のような感じである。超能力と似ているのだけど、ちょっと違うような。”気の力”のような感じかな。それを正しく感知して使えるようになることも、ジェダイの訓練の一つ。
 フォースの力というのは、本能のままに使ってはいけないらしい。本能を抑えて、それと反対の行動(理性?)を取ることが大事だそうである。
 デパは、自分の作戦のためにバドワイを殺し、大勢のコルンを死なせたことで、心が傷つき闇に落ちた。そして、平気でバドワイを虐殺できるようになった。やはり、人類の本能の中に争いと殺人があるのだろうか?。 

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2009年8月11日 (火)

田の原天然公園散策

 7月9日は、バスツァーハイキングへ行ってきました。今回は友人と一緒です。バス3台で、私たちは3台目に乗りました。
Tanohara9  バスは、8時に名鉄バスセンターを出発しました。渋滞を覚悟していたのですが、ほとんど影響は無く、途中2回休憩して、12時に田の原天然公園駐車場に着きました。

 ここは、標高2180m。風が冷たいです。観光センターのすぐ前では、「大滝すんきそばサービス」をやっており、私と友人も1杯ずついただきました。味はちょっと酸っぱかったです。
 登山道入り口の大鳥居をくぐって御嶽山への道を進みます(写真上)。途中から木道のデッキロードへ入ってTanohara7いきました。木道の先にある展望台からは、遠くの山々が青く見え、白い雲が上の方にかかっていました。展望台から少し行った所にベンチがあったので、そこで昼食。
 デッキロードをぐるっと歩いて、またじゃり道の登山道へと出ました。こちらは、御岳講の人たちやハイキング、登山者など大勢の人が歩いています。
 遥拝所には、3体の神様と大黒天が祀られていました(写真中)。私たちもここでお参り。遥拝所から先は登山道になっているので、ハイキングはここまで。来た道を引き返していきます。
 帰りも途中から反対側にあるデッキロードへ入っていきました。木道をずーっと歩いていくと、観光センターの前辺りに戻ってきました。

Tanohara12  今度は、三笠山の方へ登っていくことにしました。
 こちらも石段を上ったところに鳥居があります(写真下)。木が多いので、地面は湿って苔むしていました。石段が終わったところからは、大きな石が段になって置かれており、その間を木の根が走っている山道になっています。
 途中、スキー場との分岐点には、祠や石碑がいくつか建てられていました。ここで、お参り。ここから、道はちょっと険しくなっていきます。三笠山山頂にも鳥居があり、お社がいくつか置かれていました。ここでお参りして、引き返しました。
 観光センターにちょっと寄ってお土産を見てから、バスに乗りました。バスは14時40分に出発し、帰りもさほど渋滞にもあわず、途中2回休憩して、18時40分に名鉄バスセンターへと戻っていきました。

 私のHPも見てね。
http://homepage1.nifty.com/MASAE/GAISYUTU/2009NAKA/tanohara.htm

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2009年8月10日 (月)

田の原天然公園の高山植物

 昨日は名鉄バスツァーハイキング「高山植物の宝庫・御嶽山7合目 田の原天然公園」コースに参加してきました。

 湿原の方は、もうだいぶ乾燥化してきており、笹が繁茂していましたが、それでも少し高山植物が咲いていました。
 写真上左は、アキノキリンソウ。右は、イブキボウフウ(ハクサンボウフウかも?違いが分からん)。
 写真下左は、じゃり道の縁に咲いていたコバノイチヤクソウ。右は、三笠山は行く途中で見た珍しい植物、ギンリョウソウ。
Tanohara1Tanohara2

Tanohara3Tanohara4   

    

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2009年8月 8日 (土)

文化のみち(2)

 この辺り。私たちが食事できるような店は見当たりません。旧豊田佐助邸の案内の方に聞いたら、ちょっと東の方へ行くとあると言われたので、そちらへ歩いて行きました。
Sirakabe10  日本料理のお店で、ランチ。今まで大皿にデンと盛られた中華料理ばかり見ていた眼には、小さな小鉢がいくつか並んでいる日本料理が、とても繊細できれいに感じられました(写真上)。デザートにアイスクリームとメロンも付いてきて、満足です。

 この近くに主税町長屋門もあったので、ついでに見学。 これは、江戸時代の中級武士の屋敷にあったもので、名古屋城下に残る唯一のものだそうです。しかし、きれいに修復されているので、逆に歴史的な物に見えないような気がしました。
Sirakabe12_3  旧豊田佐助邸の隣に旧春田鉄次郎邸があります(写真中)。そこも見たいので、また元の道へと戻って行きました。
 春田鉄次郎氏は、明治初年に多治見で生まれ、陶磁器を 輸出する貿易商として成功した人です。この建物は、大正13年に建てられたもので、1階にはフレンチレストラン「ヂュポネ」が営業しています(私たちが行った日は休みでした)。1階の洋館部分がレストランで、こちらは非公開。2階の部屋だけ見せてもらいました。洋室部分に昔使われていた古いソファーや大きなラジオなどが置かれているのが印象的でした。

Sirakabe11 最後に1本南にある「文化のみち 撞木館」を見学しました。ここは、陶磁器商として活躍した井元為三郎が、大正末期から昭和初期にかけて建てた邸宅です。ここも正面が洋館で奥に和館がくっついている形になっていました。洋館の方には、洒落たステンドグラスが嵌められています(写真下)。和館の方は、障子を取り払うと一つの部屋になる昔ながらの造りで、やはり庭側に廊下が続いており、縁側になっていました。庭には茶室も造られていました。
 ここも洋館の一部が喫茶室になっていたので、ケーキと紅茶で休憩。

 帰りは、地下鉄・高岳駅へと歩いて行きました。途中、尾張藩鋳物師頭・水野太郎左衛門宅跡と書かれた説明板が立っていました。武家屋敷の周りには職人屋敷があったのです。今そこには鍋屋がありました。鋳物師の後が鍋屋というのも因縁がありそうだなと思いました。 

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2009年8月 7日 (金)

文化のみち(1)

 主税町の信号を渡り、1本北の道へ。次は、「文化のみち 百花百草」です。
Sirakabe7  ここは、大正9年に建てられた家屋で、由緒ありそうな屋根の付いた門を入ると、昔ながらの日本家屋の玄関がありました。横は茶室になっているようです。
 玄関を入ったところに受付があり、ここで入場料500円を払いました。その奥は大きなホールで、こちらは新築されたもので白い壁がモダンな感じです。ガラス戸の向こうは庭園。徳川美術館所蔵の百花百草にちなんだ花壇が造られており、白・ピンク・青・紫ときれいな花が咲いていました(写真上)。ちょうどピアノ演奏の時間で、お茶とクッキーをいただきながら、のんびり花を見つつ、ピアノの音色を楽しませていただきました。
Sirakabe8  その後、少し庭を散策して、土蔵の中に飾られている百花百草の写真等を見ました。

 このすぐ向かいには、旧豊田家の門と塀があります。塀の内側にはマンションが建っており、年代を経た木の塀と現代的なマンションのミスマッチがおもしろい景観になっています(写真中)。
 また通りには、櫻井家住宅や料亭・か茂免などの古い建物も残っていました。
 1本南に入ったところに旧豊田佐助邸があります。こちらは見学ができるので、入って行きました。
Sirakabe9  豊田佐助は、自動織機を発明した豊田佐吉の弟です。この屋敷は、正面が白色タイル貼りの洋館になっており(写真下)、西側に木造2階建ての和館を接続した造りになっています。
 洋館の1階は洋間になっており、応接セットなどが置かれていました。和館の方は和室で、10畳の部屋が4つ田の字に並んでおり、廊下は縁側になっていて、庭へ出れるようになっていました。2階は、洋館の方は入れませんでしたが、両方とも和室になっていました。襖や欄間など、凝った造りになっていました。

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2009年8月 6日 (木)

名古屋市政資料館

 ちょっと前ですが、ずーっと梅雨が続いていて、全然ウォーキングにも行けないので、7月29日に友人と名古屋市の白壁町・撞木町の辺りを歩いてきました。この辺りは、以前は名古屋城の武家屋敷があったところで、今は「文化のみち」として整備されています。

Sirakabe4  地下鉄・市役所駅から名古屋市役所・愛知県庁の横を通って、最初に名古屋市政資料館へ行きました。ここは、大正11年(1922年)に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として建設された建物で、昭和54年(1979年)に移転するまで使われていました。赤レンガと白の花崗岩で造られた重厚な建物は、国の重要文化財になっています(写真上)。

 最初に入り口を入ったところが2階になっていて、正面には吹き抜けの立派な中央階段があります。窓には裁判所を表す秤の模様のステンドグラスが嵌められていました。
Sirakabe5  2階の部屋には、愛・地球博に展示されていた名古屋市のパビリオン「大地の塔」の模型や万華鏡写真のパネルが展示されていました。
 1階へ下りる階段があったので、そちらへ下りていくと、そこは元留置所だったところ(写真中)で、独房と雑居房が一つずつ中が見れるようになっていました。房の中は板敷きで、コンクリートの部分に水道の蛇口が一つあり、食事を入れる窓らしい物もありました。独房はけっこう広いなと思いました。
 3階には、会議室や法廷がありました。会議室には、立派な椅子とテーブルが置かれていました。法廷は、明治憲法下の法廷(写真下)と現行憲法下の法Sirakabe6 廷があり、両方とも裁判官や弁護士、被告のマネキンが置かれていて、それらしい雰囲気が感じられました。また、日本にも一時期だけあった陪審法廷も復元されていました。
 他に、名古屋市の昔の建物の模型や愛知県や名古屋市の歴史についてパネル展示がしてある部屋もありました。

 最後に2階の喫茶室に入り、お茶とケーキで休憩しました。
 

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2009年8月 5日 (水)

スターウォーズ 破砕点(上)

 スターウォーズの本は、アメリカではたくさん出版されているそうですが、日本で翻訳されているものは少ないそうです。
 私が読んだ「破砕点」は、「スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃」の半年後を描くクローン大戦ノベルです。エピソード2は、アナキンがアミダラと共に惑星ナブーへ行き、アミダラに愛を告白する話でした。一方、銀河共和国は崩壊しつつあり、パルパティーン議長の下にクローン軍団が組織されようとしていました。

 さて、この「破砕点」では、アナキンやアミダラとは何の関係も無く、ジェダイ評議会の長老 メイス・ウィンドウ とそのパダワン(弟子)の デパ・ビラバ の物語です。
 デパは、惑星ハルウン・コルから分離主義勢力を追い払うために派遣されていた。そして、デパは成果を上げてはいたが、戻っては来なかった。そんな時、デパに対する知らせがもたらされた。多くの民間人が虐殺されている映像、それをもたらしたのはデパだというのだ。
 メイスは、惑星ハルウン・コルへと旅立った。そこは、彼の生まれ故郷だった。そこに住むコルンは、フォースの力(ペレコタン)を持っていた。孤児だったメイスは、ジェダイに見出され、ジェダイ・テンプルで育った。だが、血の中にコルンの力を持っている。
 
惑星ハルウン・コル、そこのジャングルには貴重な野生植物が繁茂している。その植物の実や葉は高価なため、他の惑星からの採取者が大勢殖民していた。彼らはバロワイと呼ばれ、ジャングルに住むコルンと戦闘状態にあった。
 バロワイ達は、分離主義者が住む惑星から、銃や戦車、ガンシップなどを無料で提供され、コルンを殺していた。コルンは昔ながらのジャングルの生き物、グラッサーやアックドッグと共にフォースの力で戦い、バロワイの武器や食料を強奪して生き延びていた。
 デパを探しにジャングルへと入っていったメイスが見たものは、憎しみと終わりなき戦い、そしてジャングルの掟。そして、デパは・・・。

 この本を読んで、つくづくSFの原点というものを考えました。見知らぬ惑星、そこには何があるのか。未知の動物、未知の植物。ヒューマノイド系の人々、爬虫類や昆虫類を祖先に持つ人々。未知の危険があり、冒険がある。
 この本でも、未知の植物や動物が出てくる。草を食べながらのそのそと動く、大きなグラッサー。その背に乗って移動することもできる。その肉は食用だ。グラッサーを守り、群れを先導するアックドッグ。強力な獣だが、コルンとはフォースの力で結ばれている。
 昼なお暗いジャングルの森。危険な植物や動物で満ちている。地球にフロンティアが無くなった現代、やはり夢は宇宙へ。

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2009年8月 4日 (火)

高いところが好き

 さて、上海旅行中はペットホテルに居たナナちゃん。ホテルから帰ってきて、最初はちょっと心配そうにマサエ。の後をついてきていましたが、今ではもう我が物顔で家の中を歩き回っています。
 鼻息荒く?、フゴフゴと餌を食べ、クークーと鼾をかきながら寝て、機嫌が良いとブフフーン、ブフフーンと鼻を鳴らしながら、家の中を歩いています。
 特に高いところが大好きで、本棚の上、エアコンの上、窓枠、テレビの上とピョーンと跳ね上がってはすまし顔。
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Sirakabe1_2Sirakabe3_2   

 

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2009年8月 3日 (月)

日食観測

 5時30分、モーニング・コール。朝食は、バイキング。
Syannhai43  7時、ロビー集合。小雨が降っていましたが、空はかなり明るくなってきました。観測地の学校は、バスで2分、歩いても5分くらいで行けるそうです。荷物もあるので、バスに乗って出発。荷物は少しの人もいれば、でかいスーツケースを引いている人もいました。
 7時05分、学校着。とりあえず休憩場所の校舎に入ります(写真上)。校舎は4階建てで、1階と2階が使えるようになっており、1階には広い講堂のような部屋と教室が一つ(写真2番目)、2階には教室が2つ、私達用に割り当てられていました。部屋には、クーラーも付いています。トイレも清潔なのが1階に2箇所、2階にも2箇所使えるようになっていました。
 私は、1階の教室に場所をとって、待機。

Syannhai42  7時30分、雨が止んだので、観測場所の運動場へと出て行きました。運動場は雨でベタベタかなーと心配していたのですが、トラックの部分は透水性の舗装がしてあって、ほとんど濡れていません。
 三脚が邪魔にならないよう、隅の方にシートを敷いて、ビデオとカメラをセットしました。この学校には400人ほどの観光客が来ているのですが、運動場は広いので場所は十分にあります。日食用眼鏡だけの人は、トラックの内側の方に陣取っていました(写真3番目)。
 Syannhai448時22分、日食が始まりました。ビデオで太陽を見つけ、拡大して撮影、とやっている内に太陽は雲隠れ。なかなか撮影はうまくいきません。それでも、少し欠けた太陽を写すことができたかな(写真下)と思ったらポツポツと雨が降ってきました。ええー、これからなのに!。
 9時、大急ぎでカメラを片付けて、さっき居た教室に戻りました。雨はどんどん降ってきて、土砂降り状態。やれやれ。
 9時35分、皆既日食です。今まで雨で暗い中にもうっすら昼間の明るさがあったのですが、それが真っ暗になって、夜の雨という雰囲気になりました。私は2階に上がって、吹き抜けのところから外を見ていたのですが、上空は真っ暗で、地面の方はうっすらオレンジ色(夕焼けの色だそうです)に見えました。
 9時40分、さーっとまた薄明るくなって、皆既日食終了。
 この後、大半の人がバスに乗ってホテルへ戻りましたが、雨が小降りになってきたのSyannhai45で、ひょっとして部分日食だけでも見えるかと、私は教室に残っていました。
 10時頃、雨が止んだので、また運動場へ出て、カメラをセット。しかし、雲が厚くて太陽は見えませんでした。
 10時40分、また雨が降ってきたので、私もついにあきらめて、10時45分のバスに乗って、ホテルへと戻りました。

 部屋に入って、シャワーを浴びて着替え。外は雷雨になってきました。ポットでお湯を沸かして、お茶を飲みながら休憩。荷物の整理。
 12時、ロビー集合。バスに乗って昼食のレストランへ。ここでは、料理はもうすでにセットされていて、さっさと食べて終了。空港へと向かいます。
 14時40分、空港着。
 17時40分、上海発。途中、軽食が出ました。
 20時35分、中部国際空港着。名鉄電車に乗って、帰りました。

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2009年8月 2日 (日)

西塘観光、観測地へ

 13時、豫園を出て、歩いて近くのレストランへ。点心料理。炒め物の他にシャオロンポウや水餃子などもあって、美味しかったです。
Syannhai36  食後、30分ほど自由行動になりました。私は、豫園商場へ戻って買い物をすることにしました。ここは、明・清代風の建物に中国の老舗が入っています(写真上)が、それ以外にケンタッキー・フライド・チキンやハーゲンダッツ・アイスクリームの店もありました。通りには屋台風の小さな店も出ており、道端で子供の玩具を売っている人たちも居て、とても賑やか。
 明日は日食観測なので、買い物ができるのは今日まで。私は、迷子にならないように真っ直ぐ歩きながら、あちらこちらの店を覗いて、小物やお菓子を買いました。

Syannhai37  14時30分、バスに乗って、西塘へ。 16時30分着。
 ここも運河沿いの街で、山塘街に似ていますが、もっとうら寂れた感じでした。赤い提灯が下がった家々が並んでいますが、店も少なく、商品も小奇麗な物は売っていませんでした。
 運河の畔で写生をしていた子供たち(写真中) と、運河で泳いでいた鴨が印象的でした。

 17時30分、バスに乗り、明日の観測地の学校へ。18時10分着。
 Syannhai8予定では、学校の中に入って、観測場所の下見が出来るということでしたが、中国当局の方針が変わって、中に入れなくなりました。校門の前から、ちらっと中を見て終了(写真下)。
 今までずーっと晴天続きだったのですが、この辺りから空が曇ってきました。バスに乗ってすぐ近くにある嘉善羅星閣賓館(ホテル)に着いて、部屋に入った頃から、大粒の雨が降ってきました。
 18時30分、ホテルで夕食。郷土料理。このホテルの夕食は、今までで一番しゃれていて、盛り付けにも気が配られていました。デザートもスイカだけでなく中国風の饅頭も出て、満足でした。ただ、お茶は今までのレストランでは無料だったのですが、ここは有料で10元でした。
 ここも高級ホテルのようで、部屋もきれいで、スリッパやガウンも備えられていました。風呂はシャワーだけですが、ドライヤーもありました。
 また、予定が変わったことのおわびにということで、部屋にある飲み物やスナックは無料になりました。お菓子が3袋、ジュースが2本、ミネラルウォーター2本がありました。
 夜寝る頃には、雷もゴロゴロ鳴っていました。明日の天気は・・・・?。
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2009年8月 1日 (土)

上海市内観光

 6時30分、モーニング・コール。朝食後、時間があったので、部屋でNHKの衛生放送を見ていた。
Syannhai33  8時30分、ロビー集合。バスに乗って上海市内観光へ。
 9時30分、東方明珠塔着。
 高さ468m、3つの球を串刺しにしたようなユニークな形のテレビ塔です。各球体には展望台があるのですが、今回のツァーでは塔には上がらず、下から見るだけ。写真を撮ってくださいと言われても、これだけ高いと下から撮るのは無理。向かい側にある公園まで行って撮ったけど、全体は入りませんでした(写真上)。
 10時15分、上海環球金融中心へ。
 ここも背が高いビルが2つ向かい合って並んでいます。高さ492mの森ビルがこの金融中心で、下は銀行が入っており、壁には為替レートなどが書かれていました。向かいにあるのが金茂大厦で、上階はグランド・ハイアット・ホテルになっています。ここも下から見るだけ。写真を撮ろうと、道路を真っ直ぐに10分ほど歩いたけど、全体を撮るのはそれでも難しかったです。
 11時、茶芸館着。
Syannhai34  最初に中国茶の説明を受けて試飲、その後ショッピング。ウーロン茶などは、台湾で買ったのと似たような感じでした。

 12時、豫園商場着。
 バスを降りて、豫園商場を歩いて行きます。ここは、昔ながらの上海の町並みが残っており、老舗が軒を連ねています。
 ピンクに塗られた九曲橋を渡って、豫園へと入って行きました(写真中)。豫園は、明代の庭園様式色濃く残る江南地方の名園です。
Syannhai35  中に入ると、留園と同じような建物があり、やはり築山に囲まれた池がありました。建物の中を通って、庭を見ながら歩いて行きます。庭の中には、龍の彫刻が上に乗っている壁があり、ここで記念撮影。龍の像は園内に5体あるそうですが、全部爪が4本になっています。これは、龍は皇帝のみが使えるシンボルなので、5本の爪をわざわざ4本にしたのだそうです(写真下)。
 庭を散策した後は、また回廊を通って、玉華堂へ。ここは、最初に豫園を作った人の書斎で、明代の家具が置かれていました。その前の庭にある玉玲瓏は、穴がたくさん開いている奇岩で、江南3大名石の一つとされているそうです。

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