2009年12月28日 (月)

男山と姫路文学館

 また、シロトピア公園を通って、次は男山へ。
Himezi12  水尾神社にお参り。神社の横にある階段を上っていくと、途中に男山千姫天満宮があります。その前には幸運の蛙の置物が祀られており、境内には撫で牛も祀られていました。千姫天満宮には、羽子板の形をした絵馬がたくさん奉納されていました。ここでお参り。
 その先には「戯れ戎大黒」の像が置かれており、その向こうに男山八幡宮がありました(写真上)。お参りをして、また階段を上っていくと、頂上は男山配水池公園になっていました。この配水池は、町裏水源地からの送水された水道水を市街地に配水しています。これは昭和4年(1929年)に完成したもので、姫路市で最も古い配水地として近代化産業遺産になっています。配水池の上には、きれいな花壇が作られており、ここからも姫路城がきれいに見渡せました(写真中)。夜はおHimezi13 城がライトアップされるので、ここは夜景の名所にもなっているそうです。

 男山を下りて、その近くにある姫路文学館へ(入場料300円 写真下)。
 北館の入り口を入ると、壁一面に播磨地方の歴史や言い伝えが描かれた播磨曼荼羅がありました。絵と文を読みながら、奥へと進んでいきます。文人展示室には、姫路市で生まれた近代文学者らのコーナーがあります。三上参次、辻善之助、和辻哲郎、井上通泰、有本芳水、初井しづ枝、阿部知二、椎名麟三、岸上大作らがそれぞれ年表や作品、生家や様々なエピソード、中には生前の会話やHimezi14 作品の舞台となった場所のミニチュアなども展示されており、見ごたえがありました。しかし、残念ながら私はこれらの人々の作品を全然読んでいないので、見てもその価値が分からないというのが本音で、イマイチ興味が沸きませんでした。
 南館は司馬遼太郎記念室がありましたが、こちらは執筆した部屋の様子などがあったくらいでした。ビデオコーナーで播磨の歴史ビデオ(15分)を見て出ました。

 ここからは、駅まで歩いて20分ぐらいです。帰りは、姫路発 17時44分ののぞみに乗って、名古屋へと帰りました。 

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2009年12月27日 (日)

好古園と兵庫県立歴史博物館

 お城を出て、横断歩道を渡り、家老屋敷跡公園にあるお食事処で昼食。
Himezi4  その後、好古園へ行きました。好古園は、姫路城西屋敷跡庭園で、平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園です。
 玄関を入って、少し先にある屋敷門をくぐると、ずーっと渡り廊下が続いています。ここがお屋敷の庭で、広い池には小さな滝もあり、鯉が泳いでいました。未だ少しですが紅葉も残っており、緑の松が鮮やかです(写真上)。渡り廊下を通り過ぎ、池の周りを少し歩いて、苗の庭へ。サザンカの花が咲いていました。茶の庭には、茶室「双樹庵」があり、そこで抹茶をいただきました。
 流れの平庭にも、小さな川が造られていて、東屋がありました。夏木の庭、松の庭と続きます。今は花が少ない時期ですが、日本庭園の見事なたたずまいが感じられます。花の庭、築山池泉の庭、竹の庭と見て、玄関へと戻りました。

Himezi5  お堀端の道を歩き、シロトピア記念公園を通って、兵庫県立歴史博物館へ(入場料200円)。
 エスカレーターで2階へ上がると、最初の部屋には日本に現存する12の天守閣の模型がありました。比べてみると、姫路城の大きさが分かります。どれよりも一番大きくて立派な姿でした。次の部屋は「ひょうごの祭り」ということで、祭りの映像や豪華な山車が展示されていました(写真中)。「こどもはくぶつかん」がなかなか良かったです。江戸時代から明治・大正・昭和時代のおもちゃのコレクションがずらり(写真下)。懐かしの駄菓子屋もあって、鉄人28号も立っていました。
 1階には、姫路城の鯱瓦や紋が付いた瓦も展示されており、「ひょうごのあゆみ」の部屋には、兵庫県にある国宝のお寺のミニチュアや仏像などが展示されていました。
 見学後は、2階のカフェでお茶休憩。ここから見る姫路城もステキです。
Himezi10Himezi6Himezi11   

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2009年12月26日 (土)

姫路城

 12月17日は、姫路へ行ってきました。来春から姫路城の修復が始まるため、天守閣がすっぽりと覆われてしまい、きれいな姿を見れるのは5年後ということなので、その前に見ておきたいと思ったからです。
Himezi1  ネットで調べたら、”のぞみ”を使えば名古屋~姫路はたった1時間半。これなら日帰り可能、ということで、早速出発です。

 名古屋を8時35分発ののぞみに乗って、9時59分に姫路着。JR姫路駅を出て、大手前通りを歩いて約15分、姫路城へとやってきました。
 桜門橋を渡り、大手門をくぐると、そこはもう城内です。目の前の三の丸広場からは、白鷺城とも呼ばれる華麗な天守閣が見えます。正面登閣口で入場券(好古園との共通券720円)を買って、中へ。
Himezi2  菱の門をくぐって、西の丸へ。ここには長い百間廊下続いています(写真上)。こちらはもう一部修復工事が始まっており、床に所々青いビニールシートが被せてありました。廊下の途中には石落とし(武者落とし)が作られており、そこだけ壁が外側に曲がっていました。長局には小部屋がいくつかあり、女中たちがそこで暮らしていたようです。その先の化粧櫓は、千姫が嫁いできた時にもらった化粧料で建てられたと言われており、畳敷きの部屋には千姫が貝合わせをして遊んでいる姿の人形が置かれていました。
 外へ出て、「は」の門を通り、「に」の門をくぐると二の丸です。ここからは天守閣が間近に見え、とてもきれいです(写真中)。「ほ」の門をくぐったところには、姫路城の瓦紋の説明がありました。この辺りは天守閣の北側でちょうど腰の部分にあたるので、腰曲輪といわれているそうです。井戸や塩や米の倉庫になっていた建物がありました。

Himezi3  備前門をくぐると、広い備前丸に出ます。
 いよいよ天守閣へと上がります。地階から順に階段を上っていきます。階段はかなり急です。城の内部には、姫路城藩主だった酒井家の資料・掛け軸や備品や昭和30年代に行なわれた大修理の時に見つかった品々、昔の武具、などが展示されていました。天主閣の中央には太い東の心柱が昔のままの姿で残されていました。
 最上階の6階には、中央に長壁神社が祀られていました。天守閣からの眺めはきれいで、姫路の街が一望に見渡せました(写真下)。しばし、眺望を楽しんでから、階段を下りて行きました。続く。 

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2009年12月24日 (木)

新名古屋火力発電所

 12月11日は、生涯学習で、新名古屋火力発電所へ見学に行ってきました。
 金山駅から、ワイルドフラワーガーデン行きのバスに乗り、終点下車。目の前に見える大きな建物が新名古屋火力発電所でした。
 サービスビルの一階にある会議室で、「名古屋の都市づくりと発電所」について、講師の方からお話がありました。
Hatudennsyo3  1889年(明治22年)に、名古屋市にも名古屋電灯会社ができ、現・伏見の電気文化会館がある場所に石炭火力発電所を建設し、中部地方で初めて一般家庭へ電気を供給しました。その後、名古屋電気鉄道や東邦電力、矢作水力などが名古屋市内に火力発電所を建設し、計10ヶ所の発電所があったそうです。
 しかし、それらのほとんどは廃止され、現在は名古屋港の南に新名古屋火力発電所が唯一運転されています。

 新名古屋火力発電所は、1959年に石炭火力発電所として営業運転を開始しました。1972年に石炭かHatudennsyo4ら石油へと燃料を転換し、1993年(平成5年)からはLNG(液化天然ガス)を燃料として発電しています。

 講師の方のお話と発電所の方の説明を聞いた後、実際に現場を見学させていただきました。
 エレベーターで上にある7号系列の制御室へ行き、窓の外か ら中を見学。今日は点検があるので、大勢の方が制御室内にいらっしゃいましたが、普段は数名いるだけで、夜中にはたった2名で作業をされているのだそうです。
 その後、サービスビルの外へ出て、7号系列の発電所を見Hatudennsyo5に行きました。
 発電所の建物は外壁が青色でそこに白で楽譜のような模様が描かれています。これは、モーツァルトの交響曲40番ト短調の楽譜をデザインしたものだそうです。
 発電所の建物に近づくと、ゴーッという空気が流れる大きな音が響いてきました。エレベーターで上に上がり、扉を開けて中へ入ると、ものすごく広い空間が目の前に広がっていました。作業車が小さく見えるほど広い空間に大きな箱のようなものがいくつか置かれています。どうもそれがタービンと発電機のようです。基礎知識が無いので、私には何がどうなっているのか全然分かりませんが、ともかく大きくてすごい装置なのだということが見てとれました。
 しばらく見学して、またサービスビルに戻り、発電所を後にしました。

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2009年12月21日 (月)

鶴舞公園100年の歩み(2)

 昭和になってからも、いろいろな建造物が建てられましTurumai28た。
 1928年(昭和3年)には、昭和天皇即位の大典を祝し、産業の振興と文化の発展を願って行なわれた、「御大典奉祝名古屋博覧会」が鶴舞公園一帯で開催されました。この時に、普選記念壇と加藤高明伯銅像や鶴々亭がが造られました。
 普選記念壇の壁面には、普通選挙の基本方針「五箇条の御誓文」とその英訳及び建設の趣旨が掲げられています(写真上)。
 加藤高明伯は、愛知県出身で初の首相となった人です。高さ約6mの台座の上に高さ約5mの銅像が乗っていたのですが、戦時に金属供出されて今は台座だけが残ってTurumai22います(写真2枚目)。
 今日話を聞いた鶴々亭は、名古屋材木商工会が参考館として出展した茶席で、木曽檜材の最高級品が使用されているそうです。

 1930年には、名古屋市公会堂が竣工しました。また、陸上競技場には、青年団令旨碑壇も建てられました。これは、名古屋市連合青年団が建設した青年のスポーツ精神を高揚する御令旨です。私たちが行った時は、ちょうど子供たちがキャッチボールをしており、その道具の置き場所になっていました。(写真3枚目左)
Turumai210_2Turumai29Turumai211   
 

Turumai212  1955年、竜ヶ池に酒匂の滝が設置されました。これは、近くにあったサッポロビール工場の冷却水の余り水を引いて造られた落差4mの小さな滝です。このビール工場は、2000年に閉鎖され、現在は池の水を汲み上げて滝口から落としているそうです(写真3枚目中)。 
 1958年、旧制第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」の記念碑を設置。木々の中に楽譜と歌詞が書かれた石碑がありました(写真3枚目右)。
 1962年、理学博士・伊藤圭介像が建てられました。鶴舞中央図書館の前にある植え込みの中にありました。すぐ前に自転車が多数置かれていて、気づく人もほとんどいない感じです(写真下)。

 以前ウォーキングのスタート場所として来た時にも話を聞きましたが、実際に多数の歴史的建造物を見て、鶴舞公園及び名古屋の歴史を感じました。

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2009年12月20日 (日)

鶴舞公園100年の歩み(1)

 鶴舞公園は、鶴舞駅のすぐ前にある大きな公園で、明治42年(1909年)に開園しました。
Turumai24_2   12月4日には、鶴舞公園にある茶室・鶴々亭で講師の方の話を聞き、その後園内の各場所にある歴史的建造物を見て歩きました。
 歩いた順番は違いますが、年代順に歴史建造物を並べてみました。

 JR中央線の高架には青銅製の扁額が掛かっています。これは、1910年の第十回関西府県連合共進会に合わせて時の首相・桂太郎が書いたものです。これも戦時中に金属供出されましたが、1966年に残された拓本から復元されました。けっこう大きな扁額です(写真上)。
Turumai25  鶴舞公園の噴水塔、奏楽堂などもその頃に建築されたもので、現名古屋工業大学の鈴木禎次氏によって設計されました。鈴木氏は、夏目漱石の義弟でもあるそうで、名工大の敷地の一角にモニュメントが建てられています(写真2枚目)。
 噴水塔は1973年(昭和48年)から4年間地下鉄鶴舞線の工事のため一時撤去されましたが、工事後元の位置に戻され、今でも開園当初の姿がほぼそのままで残っています(写真3枚目左)。奏楽堂は、ルネッサンス風の円形舞台です。1934年の室戸台風で被害を受け、別のデザインの奏楽堂が建てられていましたが、1997年(平成9年)に築造当時の姿に復元されました(写真3枚目右)。
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 1913年(大正2年)には、公園内に私立名古屋図書館が開館しました。竜ヶ池の南側に図書館跡と書かれた木の札が立てられています。現在は、公園の西側に鶴舞中央図書館があります。
Turumai27 1918年には、市立鶴舞公園付属動物園が開園しました。大須にあった波越教育動物園から寄付された動物が飼われており、ゾウ、ライオン、トラ、サルなどの獣類だけでなく、鳥類やワニ、ヘビなどもいたそうです。しかし、動物が増えて手狭になり、1937年(昭和12年)に東山動物園に移転しました。今では、その当時の門柱だけが残っています(写真下)。続く。

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2009年12月15日 (火)

T’s CAFE と 亀崎駅

 Yさんは、この後ウォーキングコースを歩かれるということで、私とTさん、Fさんはちょっと休憩。下見の時に見た旧中埜家住宅の「T’s CAFE」でお茶することにしました。
Hanndasita9  「T’s CAFE」は、紅茶専門の喫茶店です。ブランチ(フレンチトーストと紅茶)を注文。店の中には、古い暖炉や時計があり、椅子やテーブルも洒落た感じです。
 2階も見学できるようになっており、こちらは和室で昔のままの姿で保存されていました。機織り機が置いてある部屋もありました。店の方に頼んで、古いガス灯や電灯が残っている部屋や電話156と書かれた札の下のある昔の電話機なども見せてもらいました。

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 駅へ戻り、電車に乗って、亀崎駅へ。12時頃から説明開始。ウォーキングが終わった人がゴール受付へとやってきます。
Hanndasita7  私は、JR亀崎駅と書かれたプラカードを持って、「現役の駅舎の中では、日本で一番古い駅舎です。柱などを見ていってください。詳しい説明はあちらで行なっています。」などと言って、Fさんの方へ参加者を誘導したり、簡単な質問に答えたり。
 Fさんは、ここでも古い資料を見せて説明。このJR亀崎駅は、明治19年にという建物資産表が付けられているので、明治19年(1886年)に建てられたと思われていますが、それは間違いで、この当時の物は、1995年の火事で焼失し、その年に再建されました。しかし、現役の駅舎としては、日本最古のものといっていいそうです。以前は、この駅へつながる街道に「すてん志よ(ステーション)」と書かれた道標もありましたが、今は半田博物館に展示されているそうです。
 15時過ぎ、ゴール受付終了。私たちも粗品の「短く切れてるはるさめ」をもらって帰りました。  

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2009年12月14日 (月)

半田市鉄道資料館とJR半田駅

 11月29日は、10月29日に下見をした”知多半島の「食文化のふるさと」めぐりコースの本番でした。
 Hanndahonn28時10分、JR半田駅集合。私が所属している中部産業遺跡研究会の担当は、JR半田駅とJR亀崎駅です。今日は、前回の下見に参加したTさん、Yさんともう一人鉄道マニア(通称鉄ちゃん)のFさんも来て下さいました。Fさんは鉄道に対する造詣が深く、今回も古い駅舎の写真や資料などを持参されていました。そこで、FさんとYさんにJR半田駅の説明はお任せして、私とTさんは半田市全般についての説明をハイキングの始めに行なうことにしました。
 受付は、JR半田駅北にある半田市鉄道資料館前で9時から。未だ少し時間があるので、先に鉄道資料館を見学させていただきました。
Hanndahonn1  鉄道資料館の横には、武豊線を最後に走った「さよなら列車」を牽引したC11265蒸気機関車が展示されています。資料館自体はさほど大きな建物ではありませんが、中には昔国鉄で使われていた懐かしいものがいっぱい展示されていました。昔の駅で使われていた大きな計量ばかり、チンチンと鳴る電車の合図、手回しの時刻表、駅の表示板、列車に付いていたメダルや灯りのカンテラ、古い切符や記念切符、子供の頃に見たことがあるものや古い映画などでしか知らないものまで、とても懐かしい気がするものがたくさんありました。
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9時少し前ぐらいから、ちょこちょこ参加者の方が受付にやってきました。私は、受付が済んだ方にTさんが用意された半田市の説明のチラシを渡して、「半田市の説明をしていますので、こちらへどうぞ。」と言って、Tさんの方へ誘導したり、「半田駅はあちらです。」などとウォーキングルートをHanndasita8説明したり。
 9時50分ぐらいに説明終了。Fさん、Yさんと合流し、ついでにFさんから私たちもJR半田駅の説明を聞きました。Fさん持参の大正時代の半田駅の写真を見ると、形は今の駅舎にそっくりです。どうも明治43年から建っているのは跨線橋だけでなく、駅舎も改修されてはいますが骨格部分は昔のものがそのまま使われているようで、柱などは木でできていました。続く。

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2009年12月 9日 (水)

東山配水塔

 時間短縮のため、階段を上り、ふだんは通れない扉を開けてもらって、水の丘へ。ここは水道公園になっており、噴水があります。
Zyousuizyou4  歩道橋を渡り、天満緑道「水の小径」を歩いて行きます。歩道橋には、明治44年(1911年)にイギリスで製造され、この水道局で70年間使われていた仕切弁が置かれていました。
 天満緑道は、鍋山浄水場から東山配水場に至る送水路の上に造られており、道の脇には木曽川を模した人工川が設けられて木曽川上流から下流までのさまざまな樹木が植えられています。ちょうど今は紅葉の季節で、赤や黄色に染まった木の葉がきれいでした。この緑道の中央辺りには、やはり昭和6年(1931年)に造られたY字管も置かれていました(写真上)。
Zyousuizyou5  天満緑道の終点から道路を渡って、水道局の敷地へと入って行きました。ここもふだんは入れない場所で、特別に入り口を開けてもらって、東山配水池へと歩いて行きます。陸橋からは、東山配水塔が見えてきました。坂を上がって、配水塔へ(写真中)。
 この東山配水塔は、昭和5年(1930年)に東山給水塔として建てられました。水を高い位置に汲み上げて、覚王山一帯の高台に給水するためです。その後、水道水はポンプで加圧して給水するようになったため。昭和48年(1973年)に役目は終わり、現在は震災時の応急給水タンクとして活用されています。上部は展望台にもなっていて、年に何回かの公開日には中にZyousuizyou6 入ることができます。今日は特別にここも入らせてもらいました。
 1階の入り口には、以前水道局で使われていた古い道具や資料が展示されていました。細い階段を上っていくと、各階には水道局の歴史が書かれたパネルや昔の写真などが展示されていました。一番上の階は、内側に貯水タンクがあり、その周りが展望室になっていました。近くの日泰寺の森やビル街、名古屋ドームなどが眺められました(写真下)。
 塔を降りてきたところで解散。覚王山駅から地下鉄に乗って帰りました。

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2009年12月 8日 (火)

鍋屋上野浄水場

 11月27日は、生涯学習講座 ”「名古屋の水道」・鍋屋上野浄水場~東山配水場見学”に参加してきました。

Zyousuizyou2  13時20分、鍋屋上野浄水場 1階ホール集合。
 13時30分から、最初に鍋屋上野浄水場の場長さんから、名古屋の水道の現状や浄水場の設備について説明がありました。この浄水場は、緩速ろ過池と急速ろ過池の両方の設備があることが特徴で、それぞれについて浄化の仕組みを説明していただきました。
 次に講師の先生から、名古屋の水道の歴史についてのお話がありました。この鍋屋上野浄水場は、大正3年にできた施設だそうです。その頃の旧第一ポンプ所の建物が今も残っています(平成4年まで使われていた)。また、東山配水場も同じく大正3年に創設されました。

Zyousuizyou3  14時30分、鍋屋上野浄水場の見学。
 広い敷地にいくつもの大きな池がい並んでいます。これが緩速ろ過池で、木曽川から運ばれた水は、ここで砂や微生物の働きによって汚れを取り除かれます。今日は、一つの池が掃除中で、水が抜かれて砂が取り替えられていました。ろ過池は工事用の車が小さく見えるほど広いです(写真上)。
 次に緩速系着水井を見ました。ここの水は、木曽川から取り入れた原水を途中の春日井市にある沈殿池で処理して運んできたもので、この設備も大正3年に造られたものだそうです。
Zyousuizyou1  ソーラーパネルが並んでいる場所を通って、次は急速ろ過池へ。ここでは、木曽川から取り入れた原水を先ず凝集沈殿池(写真中)で薬品を使って汚れや濁りを取り除き、次に急速ろ過池でさらにきれいな水にします。ろ過池の上には、湯垢のような塊が浮かんでいました。

 最後に旧第一ポンプ場の建物を間近で見学しました。大正時代に造られたものらしく、赤レンガでできており、ヨーロッパの建築風の装飾が取り入れられた重厚なものでした(写真下)。続く。

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