138タワーパークのイルミネーション
| 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)
20日は、生涯学習講座 「ドイツ人俘虜から学んだパンの製造 ~敷島製パン刈谷工 場~」に行ってきました。敷島製パン刈谷工場(写真上)は、名鉄・豊明駅から歩いて10分ほど、境川の近くにあります。
工場の会議室で、まず講師の先生から 「名古屋にきたドイツ俘虜~”ものづくり”に貢献~」という題で話を聞きました。
1914年(大正3年) 第一次世界大戦の時、日本は中国大陸の青島でドイツと戦い、約5千人を俘虜とした。そして、その内約500名が名古屋に送られた。
日本は、俘虜の取り扱いを決めたハーグ条約を忠実に遵守したため、俘虜の生活はかなり自由で概ね快適であったようです。
その頃の日本は、欧米に追いつくために工業の近代化を図っていた時期で、日本陸軍は俘虜が持つ特殊技能を産業の振興に役立てようと、俘虜の就労を奨励していました。
敷島パンの場合は、当時敷島製粉の工場の発動機が故障し、それを修理するために俘虜が会社に来ていました。その時に俘虜の護衛兵と盛田社長が昼食中に雑談をしている中で、収容所のパンがたいへん美味しいということが話題になりました。それがきっかけで、従業員が収容所へパンの製造習得に通い、敷島製粉の敷地にパン窯を作っ てパンの製造を始めました。そのパンは「桜パン」という名前で売り出されました。戦後は残留したパン技師・フロインドリーブを高額の給与で雇い、盛田社長の宣伝の上手さもあって、敷島製パンとして大メーカーに発展しました。
他に日本金液(落合化学)や艶金もドイツ人俘虜の技術移転から発展したメーカーです。
その後、工場見学。見学者用の通路から、ガラス越しに食パンの製造過程を見させていただきました。
最初に丸い鏡餅のようなパン生地(一つ1斤)がベルトコンベアーの上を流れてきて、長方形の金型に3つずつ入っていきます。金型は窯の中で焼かれて、できた食パンはそれぞれ3つ切り~10切りまでに切られて、1斤ずつビニール袋に詰められて終了(写真中)。ほとんど自動機械化されていて、人は要所毎に一人か二人いるだけでした。
写真下は、この工場で作られている菓子パンの一部です。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
9月20日は、名古屋都市センターの11階で 「名古屋の”ものづくり”を支えた企業家たち」の講演会と中部産業遺跡研究会の記念講演があったので、参加してきました。
名古屋都市センターは、金山駅の南口を出てすぐのところにあり、2階にはボストン美術館が入っています。
11階は「まちづくり広場」になっており、江戸時代から戦後の復興、伊勢湾台風など名古屋の町づくりの歴史がパネルで紹介されています(写真上)。展望窓からは、名古屋の街が見渡せ、歴史を見ながら現在の名古屋を実感できます(写真中左)。また、床に名古屋市の空撮写真も貼ってあるので、それを見ながら、場所を探すのも一興です(写真中右)。
今回は、特別展として、「名古屋の”ものづくり”を支えた企業家たち」のパネル展が行なわれていました。豊田佐吉・喜一郎父子あたりは私も知っていましたが、それ以外に大隅栄一、盛田善平、落合兵之助、安井兼吉、など20人ほどの人達が紹介されていました(写真下)。講演会でこれらの人たちの業績などを聞いて、より興味が湧いてきました。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
総務省から「大変重要なお知らせのため、全国全世帯を対象に配布させていただきます。お手数ですが、必ず開封して内容をご確認ください。」と書かれた「地上デジタル放送のご案内」が届きました。
封筒の裏には、「2011年7月24日までにアナログテレビ放送は終了し、デジタルテレビ放送に移行します。」と書かれていました。
何か重大なことでも書いてあるのかと思って開封すると、中身は、総務省による説明会が各地区であると書かれていました。参加できない方のためには戸別訪問までするそうです。
これって、すごく「大きなお世話」だと思う。
テレビを見る、見ない、買う、買わない、個人の自由でしょ。なぜ総務省に説明してもらわなきゃいけないの?。
もちろん、地デジって何?、という人には説明も必要だろうけど、政府がやらなきゃいけないことか?。どうせ機器は電気店で買わなきゃいけないのだから、説明してもらっても意味が無いと思う。
これだけ騒がれて、公民館で説明まで聞いたら、高齢者はアンテナやチューナー、または新しいデジタルテレビを買わなきゃいけないと思うのではないかしら。まだ2年もあるのだから、慌てることは無いのにね。
ひょっとしたら、麻生首相のお得意ばら撒き政策、家電を買ってエコポイントをもらおうの宣伝かな?、などと勘ぐってしまう。
ところで、皆さんはどれだけテレビ放送を見ていますか?。
私は、ほんとうに見なくなりました。仕事を辞めて暇になったらテレビでも見るかな、と思っていたのですが、それが全然。パソコンをやる時間と読書の時間、ウォーキングの時間は増えたけど、テレビ視聴は相変わらずで、減ったぐらいです。
私は、スポーツは見ないし、ドラマも見ない、バラエティ番組も見ない。連続ドラマは、一話完結ならいいけど、毎週見るのは面倒。となると、見るのは映画とニュースぐらい。週に2時間~多くて6時間ぐらいか。今週は未だ一度も見ていない。
なので、今のところテレビを買い換える気は無い。電波が来なくなったら、それでしばらくすごしてみようと思う。
電波が来なくても、テレビ(受像機)でビデオは見れるし、Wiiもできる。映画が見たければ、レンタルビデオを借りればいい。こういう宣伝はしないのかな?。パソコンがあれば、最新ニュースも分かるし、気象情報もOK、動画も見れる。
デジタル放送、無くても困らないような気がする。
| 固定リンク | コメント (11) | トラックバック (0)
東山動植物園へ行った時、リュックを背負っていったのですが、重くて。最初は良かったのですが、植物園を歩く頃には疲れてしまいました。
リュックの中身は、デジカメ+予備の電池、ビデオカメラ+バッテリー3時間用、携帯電話、水筒(1リットル入りのペットボトル)、傘(天候が不安定だったので)、ビニールシート、健康保険証やクレジットカード(万が一のため)、予備のハンカチ、ティッシュ、お菓子など。
他にウェストポーチに財布、ハンカチ、ティッシュなど。
ちなみに、デジカメ(単三電池入り)は 182g。ビデオは、300g。バッテリーは、1時間用(写真下左)が45gで3時間用(写真下右)が125g。
数字だけを見るとそれほどでもと思うのですが、ビデオに3時間用のバッテリーを付けて手で持つと、ずしりときます。これを5分も持ち上げていると、腕が疲れる。私って、なんてか弱いのでしょう (~_~)。
旅行に持って行くのに、どうしようかと悩むこの頃。ウォーキングに持っていくのは、止めた方が良さそうです。バス旅行ならいいのだけど。
| 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
5月10日に参加した一宮歩こう会主催の善光寺街道ウォーキングで、「つぼイノリオと挑戦しよう!尾張一宮学・お国自慢10」の宣伝がありました(写真上)。
この一宮歩こう会主催のウォーキング、”知らない町内を歩いてみよう”のシリーズでは、ウォーキングマップの裏に問題が書かれていて、コースの途中で名所・旧跡の説明があり、ゴールで解答が掲示されるようになっています。そして、その問題を集めて「尾張一宮学」の検定試験が行なわれる、ということになっています。
私も何回か、このウォーキングに参加しているのですが、なかなか続けて参加できないし、問題も難しくてメリットも無い、ということで試験を受ける気にはなれませんでした。しかし、今回は無料で、つぼイノリオ氏の話が聞けてバッジ
ももらえる、ということで、行って来ました。
先着500人とあったので、ちょっと早めにいったのですが、会場はけっこう空いていました。それでも100人以上は来ていたようです。
つぼイノリオ氏の話は、挑戦するとあったので、かなり詳しい歴史的な話が聞けるかなと思っていたのですが、そちらは期待はずれ。七夕のことや信長・道三の話をちょっとおもしろく語った程度でした。
お国自慢の10問は、簡単と言いながらもけっこうマニアックで、私は6割しか合っていませんでした。でも、バッジ
は全員もらえたので、OK。写真では大きそうに見えますが、2cm程度のかわいいバッジでした(写真中)。
ついでにお国自慢の問題も載せておきますので、皆さんも尾張一宮のことを知ってね(ファイル 下)。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)
鶴舞公園の竜ヶ池にある「酒匂の滝」は、サッポロビール名古屋工場の冷却水を引いて
造られたものですが、このサッポロビール名古屋工場の遺品が残っています。24日やはり鶴舞公園の近くに用事があったので、ついでに行って見てきました。
サッポロビール名古屋工場は、1924年(大正15年)に現在イオン千種ショッピングセンターと高層マンションが立ち並ぶ辺りに建てられ、2000年まで操業していました。今そこには、1931年に造られた接待所・浩養園がビール園として残っています。
また、隣接する高松南公園には、名古屋工場醸造所の
壁の一部がレリーフ(写真上)として残されており、大きな銅製の第2仕込み槽も置かれています。これは1968年製で、直径5.5m、容量75000リットルです。現在仕込み槽はステンレス鋼製に変わってきており、この仕込み槽は銅製最後の年代のもので、醸造技術の転換点を示すものとして、保存されたのだそうです(写真中 仕込み槽の向こうはビール園)。
そういえば、清洲にあるキリンビール工場へ行った時も、玄関前に銅製の仕込み槽がモニュメントとして残っていました。やはり、昔のビール醸造を偲ばせるものだったので
すねー。
写真下はおまけ。鶴舞公園の菖蒲池。21日に行った時は未だあまり咲いていなかったのですが、たった3日でたくさんの花が咲いていました。
| 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)
4月始めに申請した定額給付金が支給されました。
寄付をすると決めていたのですが、どこにしようかと少ない金額ながら悩んだ?結果、やはり次代をになう子供達のために使わせていただこうと思いました。
1/3は、他国の子供達のために。通販生活に載っていた、イラク医療支援とドイツ国際平和村に。
今だ政情不安なイラクでは、戦争で傷ついた子供達の治療も満足にできていません。自衛隊は撤退したけど、ほんとうの復興はこれから。この募金は、全額が現地の病院の医療支援に使われるそうです。
ドイツ国際平和村では、アフガニスタン、アンゴラ、タジキスタンなど世界各地の紛争地で傷つき、でも現地では治療ができない子供達をドイツに連れて来て治療をし、国に帰しているそうです。
そして、2/3は、日本の子供達に。あしなが育英会に寄付をしました。学校に行きたくても学費が払えない子供を少しでも支援したいから。こちらは、HPからクレジットカードで募金ができます。募金をクリックすると、すぐにお礼のメールが送られてきました。
あしながおじさんになるのは無理だけど、短足おばさんぐらいにはなれたかな。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このたびは、あしなが育英会の活動にご理解いただき、ご寄付の申し込みを賜りまして誠にありがとうございます。
本会は、病気や災害などで親を亡くした遺児に奨学金の貸与や心のケアを行う民間団体で国などからの補助金・助成金は一切受けないで、全額寄付で運営されています。1988年発足以来26,600人に総額252億円を貸与し、本年度は6,000人の遺児に23億円の奨学金を貸与する予定です。
深刻さを増す不況の影響で、遺児家庭は貧困のどん底に押しやられています。1998年には200万円(一般勤労者所得比43.2%)だった遺児の母親の勤労所得が年々減少
し、2007年は134万円で一般の3割にまで落ち込みました。
また、日本の遺児のみならず、世界の遺児一人ひとりの自助・自立へとつなげていく寺子屋教育(読み、書き、計算)など海外の遺児支援活動にも力を注いでおります。
みなさまのご寄付が遺児と遺児家庭に届いたとき、そのお金は夢や希望、精神的な支えに変わります。
今後とも、温かいご理解とご支援をよろしくお願い申しあげます。
あ し な が 育 英 会
会 長 玉井 義臣
------------------------------------------------------------------
【ご寄付の使途】 日本の遺児支援
-----------------------------------------------------------------
【ご寄付者氏名】
【ご寄付の金額】 8,000円
【ご送金の方法】 クレジットカード
-------------------------------------------------------------------
なお、今回のご寄付に関しましてご不明な点がございましたなら、大変お手数ですが、以下のお申込み番号を添えて、下記までお問合せくださいますようお願い申しあげます。
【お申込み番号】
【お問合せ先】
あしなが育英会 総務課
〒102-8639 東京都千代田区平河町1-6-8
TEL:03-3221-0888 FAX:03-3221-7676
E-mail:
URL: http://www.ashinaga.org/
-----------------------------------------------------
| 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)
最近のコメント